魔性[Devilishness]
旧約聖書の物語の中で、イスラエルの民からもっとも尊敬され人気があったとされるダビデ王は、常に主なる神を崇め、御心に従って生きた人だった。そして律法を守り、40年にわたって民を平和に統治した。 しかしそんな語り継がれる偉… 続きを読む »
旧約聖書の物語の中で、イスラエルの民からもっとも尊敬され人気があったとされるダビデ王は、常に主なる神を崇め、御心に従って生きた人だった。そして律法を守り、40年にわたって民を平和に統治した。 しかしそんな語り継がれる偉… 続きを読む »
定年という年齢も近いし、充分な蓄えがあるわけでもないし、他にやりたいこともあるし、そんなこんなで焦る気持ちや心配は尽きないのだけれど、大切なのは「今与えられている場所で精いっぱい生きる」ということなのだろう。無意味なき… 続きを読む »
聖書を真剣に読み始めた頃、8、9年前の事になるが、その頃を思い起こすと本当に何も分かっていなかったと感じる。もちろん、「今では全てのことが分かっている」などと言うつもりは毛頭ない。言えない。これから勉強しなければならな… 続きを読む »
私はプロテスタントのクリスチャンで毎週日曜日に教会へ通い、礼拝を守っている。今日の礼拝では牧師先生がマタイによる福音書の一部を引用し、説教をした。その箇所は有名な物語で、イエスがガリラヤ湖の湖面を歩いて難破しそうな弟子… 続きを読む »
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節) 私はどうしても先の事を考えて、憂鬱になってしまう。その度にこの聖句を思い出し… 続きを読む »
旧約聖書に登場する人物の中で高名な人はたくさんいる。私が全ての人たちを知っているわけではないが、例えばアダムとエバ、ノア、アブラハム、ヨセフ、モーセ、ヨシュア等々、挙げていけばキリがないほど多い。そしてその中のほとんど… 続きを読む »
命を懸けるようにして、社会の様々な問題に関わっている人たちがいる。自分の事よりも他人のために生きることができる人たち。私は、「他人事なのに、どうしてそんなに真剣になれるんだろう?」と単純に不思議に思う。私にはできない。… 続きを読む »
私は自分の心のことに一番関心がある。私は何を考え、何を思う人間なのか。何のために生きているのか。私は、本当は何がしたいのだろう。そして一体私は何者なのか。そのような自分への問いに捕らわれて、抜け出すことができない。 … 続きを読む »
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章3節) 心の貧しい人々とは、心が弱い人とも捉えられる。目標の達成に向かって頑張っていても、意志が弱いために志半ばで心が挫けてしま… 続きを読む »
神の御子、主イエス・キリストは私たちの罪を贖うために死んでくださった。私はこのことを如何に自分の事として捉えられるかどうかに、信仰が深まっていくかどうかの分岐点が一つあるように思う。或いは、このことだけで良いのかもしれ… 続きを読む »