弱いからこそ[Because you are weak]
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章3節) 心の貧しい人々とは、心が弱い人とも捉えられる。目標の達成に向かって頑張っていても、意志が弱いために志半ばで心が挫けてしま… 続きを読む »
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章3節) 心の貧しい人々とは、心が弱い人とも捉えられる。目標の達成に向かって頑張っていても、意志が弱いために志半ばで心が挫けてしま… 続きを読む »
朝、目が覚めて、生きていることを確認する。57年間もの間、大きな病気をすることなく毎朝同じように目覚めていれば、朝起きることが当たり前の習慣になっているのは当然だろう。取り立てて驚くようなことではなく、言われなければ気… 続きを読む »
キリスト教に私はたまたま出会って、こうして毎日神さまにお祈りしている。クリスチャンとしては、それは“たまたま”ではなく、神さまに導かれて今の状況になっていると理解するのが普通だろう。「普通とは何か?」という問題はともか… 続きを読む »
神の御子、主イエス・キリストは私たちの罪を贖うために死んでくださった。私はこのことを如何に自分の事として捉えられるかどうかに、信仰が深まっていくかどうかの分岐点が一つあるように思う。或いは、このことだけで良いのかもしれ… 続きを読む »
演技をしないように、自分を取り繕うことのないようにと目指してやってきたことが、ここに来てどうでもよい事のように思えてきた。私は自分で何かをしようとするのではなく、どうにかして神さまに用いてもらうことに、より重きを置くよ… 続きを読む »
思いを伝えるために、或いは何とかして相手を説得するために、多少大袈裟な表現を使うということがあると思う。それは言葉のチョイスもそうだが、同じ言葉でも言い方を情熱的にしたり、わざと怒っているようにしたり、何かしらの工夫を… 続きを読む »
私は自分の事を人に話すことがあまり好きではない。その分このブログで自分の事ばかりを書き、心のバランスを取っているのだろうか。心の内側に籠ってばかりではなく、時には自分が思っていることや経験などを外に向けて伝えることは、… 続きを読む »
キリスト教の神さまを信じて、私は毎週日曜日に小さな教会へ通っている。そこへは年齢や性別、またキリスト教を信じるに至った経緯も、それぞれ異なる人たちが集まっている。ちなみに外国籍の方はいない。信仰歴というか、洗礼を受けて… 続きを読む »
発想の転換ということを考えて行くべきなのかと思う。私は余りにも世俗の常識を自分の物差しとして使い、様々な事象を測ってしまっている。私は私の物差しを確立し、自分の眼差しでこの世の中を見るようにするべきなのではないか。自分… 続きを読む »
私は自分の事を簡単に言えば「ダメな人間」だと思っている。肝心な時に踏ん張りが利かせられないし、度胸も根気もない。本番に弱いタイプだろう。そしてその“ダメさ加減”をよく卑下する傾向がある。自分を貶めることで、周りから憐れ… 続きを読む »