錬金術師

投稿者: | 2021-01-26

 昔から、何となく「青い鳥」という童話が好きだった。惹きつけられていた。主人公たちが幸せの青い鳥を探し求めて色んなところへ出かけ冒険し、最後は自分の家で見つけるという、簡単に言えばそんなストーリーだと思う。このお話から学ぶ教訓は、「幸せは身近にある」ということにあると長い間私は思っていた。未だ見ぬ幸せを探してあちこち出かけてはみるものの、本当の幸せは最初からあなたの足元に横たわっているのだよというような、言わば「灯台もと暗し」的な意味で捉えていた。それもあってもいいと思う。家族や友人等、まず「身近な人たちを大切にする」ことや「日々の生命・生活に感謝する」ことは幸せになるためには外せない大切な行いの一つだ。結果としてそこに行き着くことは腑に落ちるのだが、何となくどこかに違和感がずっとあった。

 「アルケミスト」というブラジルの方が書いた本を読んだ。恐ろしく乱暴に要約してしまえば、スケールの大きい「青い鳥」の複雑版だ。実際に読みながら「青い鳥」がフラッシュバックのように脳裏をよぎった。どんなイメージだったかは覚えていない。でも確かに青い鳥のイメージだった。よぎった瞬間、ハッと気づいた。『たどり着くまでの過程』なのだと。毎度お馴染みの「結果より過程が大事」という教訓に帰結するのだなと思った。ただそれは今回、「青い鳥=灯台もと暗し」という捉え方に対する違和感への答えにもなった。冒険を通して培った経験により主人公たちは最初とは違う自分に成長と遂げていた。だからこそ足元の宝物に出会うことができたのだ。単純に足元を見ていなかったのではなく、経験を積んだ結果、見えるようになったという捉え方であればしっくりくる。

 「運命を受け入れ覚悟を決める。そして冒険の旅に出発し幾多の困難と失望に苛まれながらも心の声に従い歩み続ける。やがて最後に、元いた場所にたどり着いた主人公は自信に満ち溢れ、本当に大切なものに気づく。」まぁ王道と言えばそうだし、当たり前の感動ストーリーなのだろう。だがしかしこれまた月並みな言い回しをすれば、当たり前を当たり前にこなすことは現実には難しい。誰もが容易くできるのなら感動ストーリーは成り立たない。分かっていてもできないのが人間だ。勇気もない、覚悟もない、実行できない、自信もない、ないない尽くしの存在、それが人間の本来なんだと思う。その事実を踏まえてどう生きるかが一人一人に問われると思う。

 26回レッスンの速読コースを卒業してから2ヶ月半で23冊読んだ。個人的には爆発的な数字だ。この本たちは私にとてもたくさんの大切なことを教えてくれた。本をあまり読んでこなかった私は劣等感を持って生きてきた。読んでこなかったことに色々言い訳を付けて自分を正当化しようとしてきた。そして今はっきり思う、「私は間違っていた」。間違っていたことを認めて、さぁ、どうするかが私に問われていると思う。どう生きるかは私次第だ。後悔はしない。悔い改める。そして、「時が満ち、ようやく本を読める時が来たんだ」と捉えよう。また一つ、私の冒険が始まったんだ。

 最近、脳が回って動いている感覚がある。

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