たぶん大丈夫

投稿者: | 2021-03-13

 職業はあくまでもやりたいことを実現する手段であって、やりたいことそのものではないと思う。例えば私は映画監督になりたいと思って生きてきたが、元々は自分の思いやものの考え方・感じ方を伝えたいと志し、その手段に考えを巡らしたところ、「映画を作る」ということに行き着いた。だから映画監督になることを目指したんだけれども、その「自分を伝える」という作業は映画を創ることだけには限らないと後年気づいてゆく。いや、やりたいことが変わってきたのかもしれない。
 自分の「夢」と言ってもいい「やりたいこと」を実現できる手段として、その類いの職業に従事できていれば問題ないだろう。だが、もしかけ離れた職に就いていたとしても、たぶん大丈夫じゃないかと思えるようになってきた。

 「やりたいこと」は恐らく一つではない。そして手段もさまざまあると思う。それを組み合わせて計算したら、実現する道筋の本数は大変な数字になるのだろう。夢のかたちはその人その人だ。しかし人間にとって“本当に”やりたいこと、「夢」とは何だろう。人によってそれぞれ細かく枝分かれしていて、例えば私のように「自分を伝えたい」とか、他にも「お金持ちになりたい」や「人気者になりたい」など千差万別だ。でもそういう枝葉のことではなく、突き詰めて突き詰めて、人間が本来求めるものとは何だろう。万が一お金持ちになれたとして、人気者になれたとして、でも実はその裏にある“本当に”やりたいことは何なのだろう。私は一つだろうと思っている。

 毎日のニュースを見ていれば分かるように、人間は非情なまでに醜い部分を持っている。性善説か性悪説かなどという議論には終わる様子がない。人類は今後も過ちを重ねてゆく。私もそうだ。犯す過ちの重さに違いはあれど、弱く憐れな私は今後も間違いなく、過ちを重ねてゆく。だがしかし、そんな私でも求めるものがある。『人を愛する』ということ。それはきっと私だけではない。照れくさくて、カッコ悪くて、偽善ぽくて、誰もそんなこと言わないけれど、みんな人を愛したいんだと思う。嘘だと思ったら、自分の胸に聞いてみたらいい。その代わり“本当に”聞かなければならない。真に自分と向き合って、“本当に”正直にならないと聞こえない。

 それが正しいとしたら、つまり人類一人ひとりの本当の夢は『人を愛すること』だとしたら、これを実現する方法は職業や年齢を選ばない。どんな職業でも誰でもチャレンジできる。だから毎日の生活の中で、もしかしたら「今日も仕事行くの嫌だな~、辞めたいな~」と思って働いている人でも、“本当の”夢に気づけば大丈夫。人を愛すためにはどうするべきかを日々考え始めるから。そしたらきっと世界は変わっていく。
 まだまだ私もできていると言える状態からはほど遠い。このような考えは古からあるわけで、それが完全には実現していないことからも、到達が甚だ難しい夢だと分かる。でもヒントは授かっている。さぁ今日もこの結論だ。実現するためには「今日を精一杯、誠実に生きる」のみ。そうすれば手段は自ずと私の前に舞い降りる。

  いつも同じ結論じゃダメかな??

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