下剋上

投稿者: | 2021-03-26

 私は日本の歴史に疎い。中学生レベルのことは知っている。「良い国作ろう鎌倉幕府(1192)」や「聖徳太子はコックさん(593)」など。最近は認識が変化しているらしく、あんなに一生懸命暗記した年号が今はもう“不正解”になるそうだ。過去が書き換えられるとは驚きだ。そうなってくると何を信用していいのか分からなくなってくる。

 高校の日本史の授業で、戦国時代の話になると段々熱を帯びてきて、いつまで経っても授業が前へ進まなくなる先生がいるそうだ。根っからの戦国先生。分からないでもない。そういう武将好き、戦国好きは日本にはたくさんいると思う。日曜夜8時のNHK大河ドラマでは、歴史上の偉人に焦点を当て、その人を取り巻く時代の様相を一年間かけて描いていく。私の印象ではこの大河で取り扱われる主人公のほとんどは戦国武将だ。視聴率も高い。日本人には戦国時代好きが多いという傾向を実証している。歴史絵巻は世界中に各々あるだろうから、その国における“時代劇”好きは日本だけに限られないのだろうか?
 「日本史=戦国時代」ではないので、ちょっと認識が間違っていることは認める。でも事実として、昔から私にとって日本史は殺戮の歴史でしかなかった。誰が何人殺して天下を獲ったとか、寝返るとか○○の戦いとか、泣かぬなら殺してしまえホトトギスとか。そういう血生臭いのが生理的に嫌いで、また世界に目を向けたいという意識も手伝い、私は世界史を選択していた。「戦い」というキーワードでくくれば、血生臭さは日本史も世界史も実は似たようなものかもしれないが、世界史は対象がまさに世界なので、覚える項目の多さに紛れ、一つ一つの戦争についての残虐さには授業で深く言及されなかったかもしれない。日本史と世界史のどちらも履修すれば比較ができたが、実際はどうだったんだろう。とにかく私は入り口から絶対世界史で、日本史はちょっと嫌いだった。

 司馬遼太郎さんの「新史 太閤記(上・下)」を読んだ。血生臭さは各所に散りばめられていたが、素直に面白かった。豊臣秀吉という武将について、信長→秀吉→家康という系譜の中での認識はあったが、天下を統一した人物という以外、ほとんど名前しか知らなかったことが分かった。現代にも通用するような秀吉の優れた人物像に感銘を受けた。戦国武将に対して私が持っているイメージからはかけ離れた、極めて異質な存在に映った。この人物を、生き様を、今まで知らなったことを悔いる思いさえある。「人間一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、懇親の智恵をしぼって悪事をせねばならぬ」というセリフが何故だか妙に心に刺さっている。
 もしかしたら司馬さんの術中に私がハマっているのだろうか。以前に「竜馬が行く」を読んだことがあって、司馬さんの著書を読むのはこれで二度目だ。司馬さんのこの「竜馬が行く」の影響で、それほどの功績を残していない坂本龍馬を多くの日本人が英雄として崇めるようになったという説を聞いたことがある。今回私が秀吉に寄せた好意も司馬さんに仕向けられたものなのだろうか。それを確認するには他の太閤記を読むしかないのか。ん~、長編なので気が重い。恐らくは読まない。たとえそうだったとしても、秀吉好きのままで構わない。

 幼いころ、父親から父親を呼ぶときは「父上」と呼ぶように強いられていた。私の日本史嫌いはその辺に端を発しているのかもしれない。今回そこを乗り越えて、かの太閤秀吉に出会えた。良かったし、嬉しかった。偏見、わだかまり、タブー、食わず嫌い、こだわり、意地、等々を乗り越えて新しい学びに接したい。

 今まで大河をちゃんと観たことはない。

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