初鰹

投稿者: | 2021-07-24

 同じことを何度も話す人がいる。「またその話か…」とがっかりする。そういうのはやはり年配の方に多い。恐らく私も気づかないうちに同じ話を同じ人にしていることがあるとは思うが、割と自信があって、そんなに多くないと思う。全く無かったとは言わない。
 私は自分が話した内容を、その時に会話している相手と私との間で生まれた空気感のようなものと一緒に覚えていることが非常に多い。だから同じ話をしてしまったとしても、話しているうちに「この感覚は前にあったな」と途中で思い出すことが多い。もしくは話そうと思い立った時に気づいて、それでも必要な場合は「前にも話したと思うけど」という前置きをしてから話せる。覚えているという感覚ではなく、肌で感じるという方が近いと思う。つまり話す内容は同じでも、話した相手によってそれぞれ別のユニークな感覚に変化して蓄積されるという印象だ。

 反対に数少ない「同じ話をしているのに気づかない」場合はどんな状態だろうか。結論から言えば、私が相手との交わりを軽視している時だと思う。話した時の相手との関係が特別なものとして捉えられなかった証拠だと思う。もちろん急いでいた等の話した時の状況にも依るし、話の内容にも依る。繰り返すが、そういう場合は本当に少ないと思っている。しかし確かにある。私はそういう差別癖のある人間だ。知らず知らずのうちに他者を選別しているようだ。

 そんな風に日ごろから考えているので、自分が誰かから同じ話をされた時は本当に落胆してしまう。「ああ~私はこの人にとっては特別じゃないんだな」と思ってしまう。「特別」という言葉を使ったが、ここではそんなに大げさな意味での“特別”ではなくて、「寂しさを感じる」という程度で理解してほしい。「この話を前に私にしたことを覚えていないくらい、この人の中で私の印象が薄いんだな」と思えば、誰でも少しは気落ちするのではないか。いや、私の考えがセンチメンタル過ぎる感じだろうか。「またあのおっさんが同じ話してるよ」くらいに笑い飛ばせばいいだけの話だろうか。私はどうしても反射的に悲しくなってしまう。

 もう一つの違うパターンがある。それは分かっていてわざと同じ話を同じ人たちに何度も何度もする人がいること。私にはとてもできる芸当ではない。いわゆる「自慢話」だ。苦労話の類いも私に言わせれば自慢話に他ならない。「こんなに大変だったんだよ~」という自慢だ。これが質が悪い。
 若い頃、アルバイト先の板長が酔っぱらうと同じクイズを大声で繰り返し詰問してくる手に負えない方だった。有名な俳句をどこかで覚えてきた自慢なのだろう、「『目に青葉 山ホトトギス』に続く言葉は何だ!?」と若い衆の私たちに絡んできた。何がそんなに彼を執着させたのかさっぱり分からないが、いつも同じクイズなので、付き合い切れず呆れ果てていた私たちも流石に答えを覚えてしまっていた。半分悔しいのだが、その答えは30年後の今でもしっかりと耳に焼き付いている。繰り返し言うということは、時として意味があることなのかもしれない。

 同じ話を繰り返す癖は、ひょっとしたら教師に多いかも。

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