Winter

投稿者: | 2021-09-15

 そんな哲学っぽい大げさなことではなく、私はどうも先のことを考え過ぎてしまう傾向がある。今を楽しめないというか、未来を憂慮しすぎて今日の恵みを満喫できない。せっかちで残念な性格だ。夏の暑さが陰りを見せ始め、朝夕の風が冷たく感じられる季節になった。心地よく過ごしやすい気候を、あれこれ考えず素直に楽しめば良いのに、私は大嫌いな冬の訪れを恐れてしまう。道路を覆う雪の煩わしさや防寒のため衣服を重ね着しなければならない面倒を思い出し、こんな気持ちの良い小春日和に憂鬱な気持ちになってしまうことさえある。

 中学・高校の頃、好んで聴いていた音楽はQueenをはじめとする洋楽が主だった。でも思い返してみると、けっこう日本の歌も聴いていたように思う。特に中学の頃にハマっていたのは「オフコース」。小田和正さんの透き通るような優しい歌声と曲調も大好きだったが、歌詞に一番惹きつけられ、何曲も暗記して授業中ルーズリーフに清書していた。授業中に……。
 その中で「夏の終わり」という曲があった。「♪夏は冬に憧れて、冬は夏に帰りたい」という確か歌詞だったと思う。多分その頃から私は今とあまり変わらない性格で、この歌詞に出会った時に、「先のことを考えるのは、自分だけではないんだ」と少しホッとしたことを覚えている。「そんな風にして時は流れていくのかな~」などと生意気に悟った気になっていたことが懐かしい。
 でも今ネットで探してよく歌詞を読んでみると、この曲の「夏」とか「冬」は、過去の「思い出」という言葉の代わりに使われていて、つまり「夏の思い出」や「冬の思い出」という意味で、先のことに心が向かいがちだという解釈は間違いのようだ。我ながら、お恥ずかしい。何度も書いたのに。

 「秋の気配」というこれもオフコースさんの曲がある。素敵な曲。「夏の終わり」も「秋の気配」もだいたい同じ季節を指して用いられる言葉だと思うが、この両曲ともちょっと寂しい歌だ。男女の“別れ”が歌われている。夏に盛り上がった気持ちが秋の訪れとともに輝きを失ってしまうのは誰もが経験することなのだろうか。何の根拠もないけれど、別れるならまぁ秋だなとは思う。そういう意味では何となく寂しくて、危険な季節。
 こうして考えていると、もしかすると私の心の病は「先のことを考えすぎる」ことではなく、「冬が嫌い過ぎる」ことが原因かもしれない。冬に夏に帰りたいと思うことはしょっちゅうだが、冬に憧れることは未だかつて無い。寒いのが嫌いだ。寒さに身を震わせ縮こまって、何だかとても惨めな気がする。最近の異常気象のような酷暑はなかなか厳しいものがあるが、それでもあの煩わしい冬に比べたら雲泥の差がある。酷暑の方がずっと良い。

 夏にはいつも、「夏は人生が楽だな」と思う。重ね着をする必要が無く、とにかく身軽だ。ネクタイもする必要が無く、支度に時間が余りかからない。冬は夏より少なくとも5分、服の組み合わせに迷えば10分多くかかることもある。朝の10分は巨大だ。また雪道の運転は非常に危険で、通勤時間も延びてしまう。ゴールド免許の保持は奇跡的にも思える。昨年の大雪時には、丸一日自宅周辺の雪かきをしていた休日もあった。まぁ、そんなことを嘆いているようでは雪国では生きてゆけないが、この気持ちの良い美しい季節に、私はついつい冬のことを思い出してしまうのだ。

 久しぶりに聴いてみようかな。泣いちゃったりして。

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