未確認飛行物体

投稿者: | 2021-09-30

 一昨日「目に見えないものを信じる」ということをテーマに、トマスについて書き終わった後、かなり昔に放送されたテレビ番組のことを突然思い出した。どれくらい前の番組かと言うと、私が小学生の頃だから恐らく40年以上は経っていると思う。「目に見えないもの」“繋がり”で思い出したのだと思うが、聖書の物語に関連して思い出した番組にしてはちょっと低俗な内容で、今日は多少レベルの低い“おちゃらけた”話になってしまうかもしれない。でも思い出し方がビビッと電気が走ったように衝撃的だったので。

 UFOと呼ばれる物体にまつわる話題の流行は周期的にやってくるように思う。つい最近にもアメリカの国防省がUFOに関する報告書を公表したことが大きなニュースになったばかりだ。それらしき映像も公開されていた。未確認飛行物体。その正体は未だ公式に確認されてはいないが、私の知る限り、それこそ40年以上前から世界各地で存在の真偽が取り沙汰されている。
 私が思い出したそのテレビ番組が放送されていた時分は、恐らく日本にある程度の高いUFOブームの波が到来していたのだと思う。或いはその番組がきっかけでブームが巻き起こったか。いずれにしても当時注目の話題だったはずだ。番組では出演者がUFOの存在を信じる派と否定派に分かれて、いろいろな資料を出し合いながらディベートするような構成だったと思う。双方にリーダー的な存在の人物がいて、それぞれの個性が、まぁ強かった。信じる派のリーダーは確か「UFO評論家」のような誰からも保証されていない肩書しかなく、視線が虚ろで何となく頼りない感じの方だった。「ヲタク」っぽいと言えばそうだったかもしれない。一方否定派の大将は理論派の権威といった感じで、天下の早稲田大学の教授だった。
 ディベートの勝敗は始める前から教授の勝利で決着しているような雰囲気なのだが、科学的な裏付けが取れているとは到底思えない、眉唾な証拠を並べ立てて論じるUFO評論家の主張を、教授が人格を否定するかの如く粉々に打ち砕いてみせる様子がめちゃくちゃ面白かった。評論家はやられっぱなしではなく、新たな資料を突き付けて反駁するが、またしてもケチョンケチョンになぎ倒されてしまう。実際の収録現場の雰囲気は、画面から伝わってくるままに教授が優勢だったかもしれないが、お茶の間では評論家の方を応援していた人も少なからずいたのかもしれない。そうでないとゴールデンタイムにスペシャル番組として放送されるような人気番組には成り上がっていなかっただろう。単なる「弱者がいじめられているのを楽しむ」ような趣だけの内容ではなかったと思う。

 小学生ながらにその番組を観ながら思ったことは、信じる派の人たちは証拠がないものを「まず信じてしまった」のではないかと思う。夢や果てしない希望に思いを寄せ、宇宙人のような未知の存在に魅せられてしまったことがまず最初にあって、これを確かなものにするために後から色々調べて理論づけようとしていた感じではないか。他方で否定派は激しく糾弾しながらも、もしかしたら「UFOを信じたい」とどこかで思っていて、信じる派の人たちに「私たちも信じたいから、揺るがない証拠を見せてくれ」と要求していたようにも見て取れるかと思う。「だから私たちをちゃんと納得させてくれ」と。

 この番組のことを聖書のトマスの物語と対比させることには躊躇を覚える。でもトマスを思うことで何故か大昔のこのテレビを思い出してしまったことは事実だ。それも電撃的に。大げさな表現を覚悟で、私の中で40年前の過去と現在が繋がったのだ。不思議な感覚は拭い去れない。
 そして私はこの否定派の教授の中に自分を見る。対立する評論家を実は羨ましいと思いながらも自分の立ち位置を変えられない教授に、律法学者的な自分の姿を見出すのだ。「信じたい、だけどどうしても自分を捨てきれない」。そんな叫びが時空を超えて聴こえてくるような気がする。

 弱者が強者に立ち向かう姿は、美しい

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