小さな誇り

投稿者: | 2021-03-22

 中学3年生の時に生徒会長をしていた。前後期に分かれた、前期の方だった。運動会など主要な行事は前期の間に行われていたので、出番が多いという意味では、後期より前期の方が“メイン”だった。何でまたそんな大それたことをやろうと思ったのか、直接のきっかけは覚えていない。ただ小学校の頃に児童会長をやってみたいと親に相談したことがあって、その時は母親に止められたのだが、だからそういう気質は元々あったのかもしれない。中学で小学校の時の雪辱を果たしたわけだ。

 我ながらなかなか立派に勤め上げた生徒会長の職だったと思う。もしかしたら人生で一番立派な時期だったかも。着任して、毎年同じことの繰り返しが嫌だったので、新しいことをしたいと生徒会のメンバーと相談しながら先生に提案していった。確か当時、「生徒諸君」というマンガが好きで、その影響を受けての行動だったと思う。
 ほとんど通らなかったが、一つだけ私の代以降、伝統のようになったのは、生徒会スローガンを体育館の壁に横断幕で掲示するという習慣だった。忘れもしない私が掲げたのは「心を一つに 無限の開拓」という言葉だった。全生徒から公募し、その中から私がいい言葉を取り出し、組み合わせて決めた。用意した横断幕に、明朝体かゴシック体か忘れたが、美術の先生に頼んで薄く鉛筆で文字の外枠レイアウトを書いてもらい、みんなで内側を黒く塗りつぶした。見事に出来上がった横断幕は本当に誇らしく感じた。

 生徒会関係の行事や集会では常に司会をした。いわゆる取り仕切り役。全校生徒の前で何かを話すことは当たり前で、当時は全く緊張もしなかったし、本当に立派だったと思う。一つ一つ恙なく執り行うことができた。厳かに静まりかえった状況での挨拶で、声が裏返ってしまったことが一度あって、まぁ、そういうこともある。過度な緊張のせいではなかったと思う。失敗した経験はそれくらいしか覚えていない。
 働き具合を周りの友達が褒めてくれた。普通中学生くらいだと、面と向かって褒め合ったりはしないと思うのだが、何だか照れくさかった。先生方も認めてくれていたように思う。それが段々プレッシャーに感じるように変わっていった。
 自分で認識している「自分」と、周りが抱いているだろうと私が思い込んでいた「私への印象」との間のギャップに苦しんだ。内心「そんな立派な人間じゃないよ~」と、私にとっては高すぎる評価に戸惑いと違和感を覚え始める。これを思春期と呼ぶのだろうか、それから気持ちが心の内側へ向くようになっていった。

 今ではもうすっかり人前に出ることが嫌いになった。大勢の前で話すことは、もうほとんど機会がないので特に問題はないのだが、それでもたまに乾杯の挨拶などで指名されると困り果ててしまう。心臓がドキドキして思うように話せない。そんな時は決まって“栄光の”生徒会長時代を思い出す。そんな時代もあったんだな~と。本当にそんな役目をしていたのかと記憶を疑ってしまうときさえある。変われば変わるもんだ。でもそういう経験を含めて今があると思うと、うまく言えないが、不思議で、ありがたくて、幸せに思う。

 あの時代に帰りたいかって?いやぁ~、結構です。

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