落ち込み

投稿者: | 2020-12-02

 どうしても気分が落ち込んでしまうときがある。自力で元気を出そうとするが、なかなか上手くいかない。他の何かに操られているような、押さえつけられているような錯覚を覚える。不思議なもので意外と仕事に余裕があるときにそれは多く起こるような気がする。もう一人の人格が「今は休めるぞ。怠けられるときに怠けとけ!」と無意識のうちに働きかけるのだろうか。そんな時はいつも自己嫌悪に陥ってしまう。「自分はもっと真面目で働き者で、もっともっと仕事ができる人間のはずだ。」そんな奢りが心の深くにあるのかもしれない。段々悲しくなっていく。

 普段はやり過ごして「今日はダメだ。明日、明日」と諦めて早めに帰宅し、例えばランニングをするなど別のことをして気分を切り替えようとする。大抵はそれで翌日は何とかなるのだが、何をどうやってみてもダメなときがある。心の中で悩み事を心配する割合が、知らずに大きくなってしまっているのだろうか、それとも“バイオリズム”がたまたま下がっているときなのだろうか、とても辛い。そんな時は一人で心静かに目を閉じて両手を組んで祈る。「神さま、私は弱い人間です、どうか憐れんで下さい。困難に立ち向かう強く生きる勇気を支えて下さい。あなたの僕(しもべ)にならせてください。」そう唱えながら自分と向き合う。

 それですぐに元気を取り戻せるかというとそう簡単にはいかない。普段に加えて祈りの機会を増やし少しずつ元気を取り戻していく。それが私の立ち直り方だ。大変な時もあったが今日こうして生命が維持されているということは、このやり方は効果があるという証明になっていると思う。赦されて今日も新しい朝を迎えることができるからこそ、「悩み事と自分とに向き合い苦しい試練を経験することができる」、「何度も失敗して傷つくことができる」、「人を傷つけてしまい、それでも涙しながら悔い改めることができる」。様々な事が起こる毎日の生活の中で埋もれてしまいがちな「日常があることへの感謝」への気づきを促すために、期せずして起こる“落ち込み”は、神さまが与えて下さる恵みの一つだと考えるのは都合が良すぎだろうか。一番大切で基本的な感謝の気持ちへ立ち戻るための、「リセットボタン」のように捉えられるかもしれない。

 今夜も祈ろう。明日は復活できているだろうか。

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