仕事をしている部屋から視線を窓の外に上げるとそこには大きな木が見える。何の木だろう、あまり植物に興味が無い私は調べようとさえしたことがない。この季節はほとんどの葉が落ちて枝がむき出しになっているが、新緑の季節は見事に青々とした数多の葉を纏う。
ある風の強い初夏の日、豊かな緑色に染まったその木が激しく風に揺れていた。波立つように葉が揺れて、まるでなめらかな葉っぱたちのダンスパフォーマンスを見ているようだった。表現豊かに奏でる個性的な合唱団のようにも見えた。美しい。単なる偶然の産物でたまたまその場にいたから見ることができた光景だった。そしてもしかしたら特に珍しくもないいつもの日常の風景でもあった。なぜだかその時、神さまって凄いなって感動してしまった。
聖書を恩師と友人と勉強するようになって心の中に変化が起きていると感じる。当たり前と思っていることが当たり前ではないこと、こうして赦されて生命を授かり今日も歩みを続けられる恵み、明日が来ることは誰にも分からないこと。気づいてこなかった「真実」に目を向けて、認め受け入れ、強がらずに身を任せ、日々に感謝したい。神さまのメッセージに気づけるようにいつでも目を覚ましていたい。
あれから難しいときには自然とその木を眺めるようになった。風も太陽も木も緑もみんな神さまが創られたものだ。それを見て思いを巡らせる私自身もまた神さまの創造物であり、そう考えながら目を閉じるとスーッと力が抜けて自然の中で宙に浮いているような錯覚を覚える。それが良い出来事かどうかはわからない。でもとても気持ちがいいのだ。何の変哲のない不図した日常の瞬間にそんな経験をすることは今まででは考えられなかった。人間はどの瞬間からでも生まれ変われるような気がする。
あの木の名前が知りたくなった。