高校受験で第一志望の県立高校は不合格でした。その高校は父も祖父も従兄弟も卒業した高校で自分もそこへ通うことが当然だといつしか思うようになっていました。落ちるというイメージは全くありませんでした。中学校は比較的町の中心部の学校で、私は生徒会長の役割を担い、成績はトップではありませんでしたがクラスで5番目くらいにはいつも入っていました。野球部でも活躍していていわゆる“天狗”になっていたんだと思います。裏付けのないガラスのプライドは粉々に砕け飛び散りました。
そうして入学した高校はキリスト教の考え方を教育の基本においたプロテスタントのミッションスクールでした。現代でいうところの偏差値が高くないことのみで、その高校の全てを見下しながら、行きたい高校に入れなかった失望と共に入学しました。「自分は本当はこんなところにいる人間ではない」。選民思想にも似たその歪んだ思いが、心の大部分を占めていたと記憶しています。そう思うことで、悲しくて暗闇に落ち入ってしまいそうな自分を、何とか保っていたんだと思います。表情がなく、内面にいつも不満と怒りを抱えた、寂しいひねくれた若者でした。周りのみんなをバカだと思っていました。
そんな荒んだ私でしたが、高校でも野球部にほとんど強引に誘われて生活していく内に、自然と笑えるようになっていました。野球部のみんなは今思い出しても非常に滑稽な連中で、練習など一生懸命するんですが、いつも何処か抜けていて、毎日のように私を笑わせてくれました。グラウンドで白い歯を見せることは、当時一般的にはタブーでしたが、練習中でもみんな大声でゲラゲラ笑っていました。中学までには出会ったことがなかったタイプが多かったです。
私は間違いなく彼らに救われました。あれだけ見下してバカだと思っていた彼らに、私は立ち直らされてしまったのです。心の中で何度もありがとうを繰り返し、同時にどんなに自分がちっぽけで愚かだったかを猛烈に反省しました。本当のバカは自分でした。
それから人を見た目や出自など先入観に捕らわれず、“その人自身”と出会うように心がけました。初めて会った人に「この人はどういう良いところがあるんだろう」と興味を持って接することができるようになり、世界が変わったように楽しく感じ出したことを嬉しく覚えています。それから様々な事象を受け入れられるようになり、高校受験に失敗したことさえも良かったと思えるようになっていきました。
私は今でも高校時代のことを思い出します。前述のような経験をさせてもらったからということはもちろんですが、3年間で私の人生において最も大切な何かを教えられた、と言うよりも感じ取ったという表現が近いと思うのですが、授かったように思っています。それが何だったかという検証は、私にとって今でも考え込んでしまうほど深い意味合いを持った問いです。
今から4年ほど前に高校2,3年生時の担任の先生と同窓会で再会する機会に恵まれました。私はこの先生を「覚悟と意思を貫く強さを兼ね備えた極めて優秀な方」と捉えています。憧れの存在でした。あまりに偉大過ぎて、クラス委員長なのに授業以外はあまりそばに近寄れませんでした。同窓会の後、一緒に車で移動した3時間余りの時間も含めて長い時間を色んな話をしながら二人だけで過ごしました。別れたあと直感的に「あ、この人をもう二度と手放してはならない」と思い立ち、後日先生に頼み込んで聖書研究会を立ち上げてもらうことになりました。
それ以降できる限り月に一度の頻度で、高校時の友人一人と先生のご自宅へお邪魔し、学びの場を提供いただいています。聖書の話がもちろん中心ですが、そこから派生して現代社会や歴史、哲学、心理学、またその友人の仕事の関係で、経済や日本企業の未来などについてもよく話題に上ります。もちろん懐かしい昔話も。そうして3年半ほど学びを進めていくと、とてもゆっくりと新しい知識・異なったものの見方が身につき、新しい心が生まれ始めているように感じています。
高校を卒業してから大学や社会へと出ていき歳を重ねる中で、失い忘れてしまったものがあります。いつの間にか初対面の人を警戒心や懐疑心を通してしか見られなくなってしまい、また自分のことしか考えず人を欺き傷つけたり、そしてお金を儲けるためにしか思考が働かなくなってしまったり。「いつからこんな人間になったんだろう」、「この心の奥の“虚しさ”をどう解決したらいいのだろう」「今まで何のために生きてきたんだろう、そしてこれからは……」。“思秋期”を過ごす我々の年代がぶつかる共通の悩みかもしれません。しかしながら私にはそのような自分本位の考え方から自由でいられた経験があります。立ち返ることができる場所がありました。
高校の時は先生方から「他者と共に生きる」というテーマをメインに、「どうのように生きるか」、「自分は何を求めて生きる者なのか」という問いを、途切れなく突き付けられました。受験勉強そっちのけでそのようなことを問うてくる先生方は、誰からどんな反発を受けようとも、本気で我々の前に立ってくれていたと思います。きっとそこには愛があったんだと思います。見えはしないけれども、確かにそっと愛していてくださった。「人生の問い」とも捉えられるそんな難しい問題を、たった3年程で答えを出せるはずもなく、納得できる応答は誰もできなかったと思いますが、先生方の本気の愛を感じた3年間だったと思います。それはここ最近の3年半の間に先生と接するうちに少しずつ気づいてきたことです。
現代は人々の間で愛を感じにくい世界が広がっているのでしょう。先生方が私たちを愛してくださったように、今度は私が誰かを本気で愛する人生を送りたいと思います。