どうしてもいわゆる“上”を見てしまう。儲かっている人、成績のいい人、足が速い人、美男美女、等々。そういうものに本当は私の心が向かっていないことは如何に散漫な私でも薄々は感づいている。人はいつだって生まれ変われると思う。そうするには今までの考えや価値観、拘りなんかを一度きれいに捨てられるかどうかが一つの大きな要因になってくる。捨てたつもりになっていて実は捨て切れていない部分が私の中に隠れているような気がする。“完全”にはまだだ。
比較的早い時期、20代の半ばから頭髪が薄くなってきた。今はもう悩む時期は過ぎて2~3日置きに風呂場で自分で剃ってスキンヘッドにしているが、その境地にたどり着くまでは相当に悩んだ。35歳の時に初めて剃ってからもう18年以上もスキンだ。祖父も父も薄かったので中学生の頃からずっと覚悟はしていたが、その日がくるのはあまりにも早すぎた。だんだん薄くなってくると、人と話している時に相手の視線が私の目から少し上の方に上がっているのが分かるようになる。非常に辛かった。「あぁこの人も会話の内容より私の禿げ具合の方が気になっているんだな」と思うと会話も楽しめないし、何より自信がしぼんでいく。人と話すのがだんだん嫌いになっていき、性格が暗くなっていったように思う。自ずと人そのものが嫌いになっていった。毎朝鏡を見るのがせつなかった。
カナダから帰国して28歳くらいの時にコックのアルバイトをしながら、スタッフが女性ばかりの育毛サロンに通った。入会金は当時たしか50~60万円くらいだったと思う。やたらと高かったのを覚えている。最後のチャンスだと思って藁をも掴んだ。一日に3回薬を頭皮に塗布し、3回目は塗布した上でホースの付いたヘルメットみたいなものを被って頭皮を温め、薬を浸透させた。さらに週に1度か2度、別料金の育毛マッサージに通う。アルバイトの休み時間にロッカールームで隠れて塗布するのが情けなく、嫌悪感は凄かったが、お金も掛けてしまっていたし毎日地道に頑張った。そして始めて6ヶ月後だったか1年後だったか忘れてしまったが、サロンのチーフと生え方の成果を点検する区切りの面接があった。電子顕微鏡のようなもので見てみると、なるほど頭皮は非常にきれいで、大げさに言えば赤ちゃんの肌のように柔らかそうで、一つ一つ毛穴が整っていた。そして確かに太い毛が額のすぐ上の辺りに新たに生えていた。入会した時に撮った写真と見比べても、それは間違いない。以前にはなかった場所に髪の毛が生えていた。ただ、1本だけだった。
もしかしたらそれはいい兆候で、頭皮が整えられて素地ができ、これからもっと頑張ればフサフサと生えてきたのかもしれない。そういう考え方もできたのだろう。しかし多分20歳代半ばのそのチーフは言った。「ここまで頑張って生えてこないとなると、原因は『遺伝』ですかね~」。そんなことはこの若いお姉ちゃんにわざわざ言われなくても、生まれた時から私には分かっていた。怒りが頂天を突き抜けた。あまりに頭に来たので毛が生えて来るかと思った。ないない。それにしても育毛のプロとして、あの発言は許されるのだろうか。二度とあそこへ戻ることはなかった。努力しても全くの無駄に終わることは、ある。そもそも目指す内容と動機に問題があることは認めるが……。
ちまたではバカ売れの育毛剤があるらしいね。