Devil

投稿者: | 2021-01-24

 特に車を運転している時に気性が荒くなる。分かっていても、運転は瞬間瞬間の判断なので何かあると瞬間的にカァーっと頭に血が上ってしまう。それはトロトロ前を走っている車に対しての時もあればマナーを守らない運転者の対しての不快感もあるし、まぁほとんど全ての“おかしい”と思ったケースで憤りを感じる。それでいて自分がミスをした時にはスピードを上げて逃げてしまうのが常だ。ズルい。ハンドルを握るとまるで普段とは別人格になってしまうような私はヤバいのか……。

 15~16年ほど前、かなり暑い夏の日の昼下がりだった。当時乗っていた車のエアコンが壊れ、仕方がないので窓を全開で信号待ちをしていた。私が停止線の一番前にいて後ろに何台か連なって止まっていた。すると救急車の音が聞こえたので、信号が青に変わってもブレーキを踏んだまま止まっていた。当然だ。するとすぐ後ろの車が私に早く行けとばかりにクラクションを鳴らしてきた。暑い日だったのでほとんどの人たちは窓を閉め切ってエアコンをかけていただろうから救急車の音が聞こえなかったかもしれない。バックミラーを見ると後方から救急車が迫ってきている。発車できるはずもない。まだ救急車に気づかない後ろの裕福そうなおっさんが二度目のクラクションを鳴らした。それは明らかにフラストレーションを携えた鳴り方だった。その瞬間ブチっと何かが切れた。もう私は私ではなくなってしまっていた。

 救急車が私たちの車の右側を通り過ぎて前方に走っていった。エアコンに加えて大きな音で音楽か何か聞いていたのだろうか、おっさんは救急車を横目で視認して初めて、どうして私が停車したままだったのかやっと気づいたのかもしれない。時はすでに遅く、私は復讐の悪魔と化していた。まずはゆっくりと車をスタートさせた。トロトロ運転だ。おっさんを私の前に行かせようと考えたからだ。後ろにいては何もできない。おっさんが痺れを切らせ車線を変えて私の前に出た瞬間、アクセルをグッと踏み込んだ。今でいう「あおり運転」だ。クラクションをけたたましく鳴らしながら、少しでもおっさんがブレーキを踏んだら追突するような距離まで接近した。おっさんは必死に逃げる。“離れては付き、離れては付き”が短い間隔で繰り返された。私の車がさぞかし巨大にバックミラーに映っていたことだろう。そのまま1kmくらいか、もっとだったかもしれない、市街地でカーチェイスを繰り広げた。おっさんは恐らく恐怖で訳が分からなくなっていたと思う。それが証拠にスピードを上げて逃げまくり、赤信号を無視してさっきの救急車を追い越してしまった。一般車が普通に救急車を追い越したのを見たのはあの時だけだ。それで何だか意気消沈してしまい、追うのを止めた。復讐は果たされた。今でもはっきり覚えているのだが、私は終始、怖いくらい冷静だった。口元に薄ら笑いすら浮かべていたと思う。絶対に事故らない自信があった。時間も空間もおっさんの心も、何もかも完全にコントロールできているような境地だった。おっさんがバックミラーを見ている可能性も計算していて、恐ろしいヒットマンのように冷徹な表情をわざと浮かべていた。

 昨日テレビの報道番組の特集で「アンガーマネジメント」を扱っていた。怒りを起こす原因は「自分の中にある概念『こうすべきだ』や『こうなくてはならない』が強すぎるから」という内容など原因から対処法までを伝えていた。また人々の、そして己の「怒り」に問題意識を持ち、解決していこうとする女性たちの活動を通して視聴者に問題提起もしていた。細かいことはメモっていないが、私自身の問題を解決するためのヒントとして心に残ったことは、頭に来た時は「反射的には動いたり言ったりは何もせず、6秒間待て」ということだった。

 ごめんなさい、もうしません。

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