ビビり

投稿者: | 2021-02-11

 通勤の生き帰りの車中で、英会話のCDを聞きながら、発声しながら一人で英会話のレッスンをしている。現在、全24スキット中19番目を勉強中だ。だいぶ“耳”は良くなってきていると思う。発声の方は劇的な進歩は感じていないが、まぁそれなりにはうまくなっていると信じたい。地力という点では聞き取りも喋る方も上がってきているとは思うが、実際の経験でその上達具合を試めすことができていない。こんな車の中でうまくなっても意味がない。国内での英会話教室の不毛さはすでに経験済みで二度と通うことは無いと断言しよう。TOFELやTOEIC、英検などのテストを受けてみるのも一つ自分を追い詰める方法ではあると思う。そういう類の意欲は残念ながらまだ湧いてきていない。

 車中で英語のCDを聞いていて、もうほとんど聞き取れるわけだから、頭の中で会話内容は理解できている。24スキット全て2~3人の間で交わされる会話で構成されていて、そのシチュエーションを思い浮かべることさえできている。問題はここからで、スキットの後半(1スキットは8レッスン)になってくると、「流れてくる英語を繰り返して発音してみましょう!」ということになる。何を言っているか理解していて、シチュエーションも分かっていて、おまけに一回お手本を聞かせてくれるのに、私の口から出てくる英語は凸凹道をゆくバスのようにガタガタと不安定だ。

 今度は日本語の話。何度も繰り返して読み、また自分でも書いている文字や文章を実際に声に出して読んでみると、とてつもない違和感を覚えてうまく話せないことがある。まるで「この言葉を発音するときは、こういう風に口を動かして、こういう風に喉に力を加えるのか」といった具合に“初めまして感”が満載になる。他のだれかが話していて自分は傍観しているだけのような錯覚に陥ることもある。自分のモットーか座右の銘にしようかと思っているような言葉だから、何回も読んでいるし頭の中のイメージも充分に育っているわけだ。にも関わらずいざ口に出そうとすると、初対面の人との間にあるような距離感が突然放り投げられる。人見知りをする私はそんな時、微妙なプレッシャーを感じてしまうのだ。

 「書く」ことはとても大切だ。書くことによっておぼろげだった自分のイメージや考えを表出することができるし、加えてそれをゆっくり吟味することができる。とても力がつく作業だと思う。この培った考えを「話す」ことは、これまた非常に重要だと思うのだ。話すことは自分の考えを他者と共有することに他ならない。自分だけの世界にあった考え、つまり自分そのものが外界へ投げ出され、人々の耳目に晒されるのだ。そしてそこで私は吟味される。口にしようとする時、私はその危機感を体で感じ、覚悟を決めることにまだ躊躇しているのかもしれない。イエス様は「書かなかった」と言われている。教えは全て“口伝”で伝えられた。簡単に言えば、それを聞いた人たちが福音書を書き残したわけだ。失敗や批評を恐れずに頑張りたい。

 英語のスピーキングってあんなに激しくリエゾンするって知らなかった。

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