間違いだらけの自由

投稿者: | 2021-02-20

 高校生の頃、独り暮らしにあこがれていた。東京にも出てみたかった。東京に行けば全てが自由になると思っていた。大学を選ぶときの条件は東京にある大学ということが一つ大きくあった。2021年1月2日にも書いたが、一浪して念願の大学生活、一年目は酷いものだった。何もせずに一日中ボーっとテレビを見ていても誰からもとやかく文句を言われない。部屋の掃除を怠ろうが、洗濯ものを溜めこもうが、学校をサボろうが、全く干渉されない。腐っていく自分に誇りなど持てるはずもなく自尊心の欠片も見つけられなかった。あの頃の私にとって「自由」とはいったい何だったのだろう。

 それまでの生活がどれほど恵まれていたかを痛感した。誰の力を借りずに、全てを0から自分だけで積み上げることを望んでいたが、それはそれまで20年弱の人生で私の成長に携わってくれた人たちを一度断ち切るような行為だったと思う。培ってきた経験を一旦捨ててしまうような愚行だった。それでは厳しいと思う、今考えれば。新しい自分を見つける、もしくは生まれ変わろうとしたんだと思う。それくらい人生に失望し、光を見失っていた。

 きっかけは全く覚えていない。落ちるところまで落ちたのか、さすがに何とかしないとダメだと思ったんだと思う。大学2年になる時に突然動き始めた。必死に勉強を始めたならカッコいいが、実際は猛烈にアルバイトをし始めた。まずはコンビニエンスストアの店員。大学が夜学だったので夜10時かそこらに出社し、翌朝7時だったかくらいまで勤務するシフトだった。朝帰宅して昼間に眠ろうとするのだが、晴れた日はアパートの大家さんが私の部屋のすぐ外でゴルフの練習をしていて、シュパーン!シュパーン!と打球音がうるさく、よく眠れないことが多かった。コンビニの仕事に慣れてくると、加えて「配ぜん人紹介所」に登録し、結婚式場やレストランなど仕事のあるところに給仕役として派遣される、簡単に言えば、日雇いのボーイをやった。昼間ボーイをやって、夕方大学の講義に行き、朝までコンビニで働くという、いったいいつ寝ていたのか分からない離れ業を数カ月やってのけた。時代は俗にいうバブル。世の中がお金儲けに狂っていた。独りでコンビニ勤務のある朝、もうすぐ店長と交代する時刻が迫っている時に、突然お腹が激しく痛みだし立っていられなくなった。レジ裏の控え室でうずくまっていていると、店長が店内に誰も店員がいない状況に激怒しながら出勤してきた。お腹が痛くなった理由は分からないが、もう体力的に限界だったんだと思う。それを機にコンビニは暇をもらって給料の良い日雇いボーイに専念することにした。夜は眠るべき時間帯との教訓は今でも胸に刻まれている。

 働き始めると自信のようなものが芽生えてきた。それは何もしないで過ごした一年間が明けた直後に、ほとんど寝ないで働き続けるという、極端にもほどがある生活の変化によってもたらされた。結果的に体を壊すまで無理をして獲得したボロボロの自信は、それでも私を支えてくれた。何とか東京でも生きていけるかなと、経済的にもそうだし、より精神的に東京に順応できてきた安堵感があった。少しずつ自由になっていったように思う。俯瞰して考えると、人生の中であまり良い時代とは言えない東京時代は、実質移り住んでようやく一年後にスタートした。

 今でもゴルフが嫌い。

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