投稿者: | 2021-03-24

 高校の頃、私は野球部に所属していたが、体育の授業で柔道に出会ってから、柔道にとても興味を持つようになった。柔道部の顧問の先生が非常に魅力的な方で、一番わかりやすく言えば、私は「ファン」だった。先生は背はそんなに高くないが、いかにも柔道家らしい体型で、カッコ良かった。授業でしかその先生と接点がなかったので、柔道部員が抱いているような本当に意味での恐さは、私は知らなかったんだろうと思う。


 その先生に一回だけ授業で乱取りをお願いして挑戦したことがあった。組んで、次の瞬間、顔が畳の上にあった。「こんなに地面て近かったっけ??」と、それが率直な感想だった。激しく投げられたということはなく、抵抗する間もなく、とにかく気がついたら倒れていた。何がどうなったのか全然分からないままに、何というか、組んだときから地面までの記憶がなくて、時間を奪われたような恐ろしさを覚えた。すげぇ~!!と思った。それなりに体力には自信があったし体育はいつも5をもらっていて、柔道は素人だけれども身体を動かすことに関しては劣等感を持ったことはない。上には上が居て、まだまだ知らない世界があることを、まさに身体にたたき込まれた。
 今でこそ、SUV車というのかな、大型の4WDで車高が高く、砂漠でも走れそうなパワーのある車種は珍しくないが、先生は当時その先駆けとも言えるトヨタのSURFに乗っていらした。私が初めて自分でお金を出して乗った車は中古のSURFだった。偶然ではない。
 そんなわけで柔道が好きになって、実力としては初段を取る試験で負けて帰ってくるなど、私自身は強くはなかったが、仲のいい友達が柔道部の主将だったりもして、テレビ中継などでも柔道を観戦するようになっていった。


 スポーツ界で私と同い年のスーパースターは多い。野球の桑田・清原のPL学園コンビは最も有名だと思う。他にもテニスの松岡修造さんやサッカーのゴン中山さん、井原さん、バレーボールの中垣内全日本監督等々。
 その中で私の一押しのスーパースターがいる。私が学生時代に世田谷のレストランで働いていた頃、食事をしに来店してくれたこともあり、直接お会いもしている。緊張して感激して、料理を運ぶ手がブルブル震えて仕方がなかった。当時、彼は日体大の学生だったはずだ。
 1992年のバルセロナ五輪での金メダルは言うまでもなく、もっと前の世田谷学園時代の全国制覇は非常に印象深い。そして何と言っても無差別級で争う全日本選手権で、71㎏級の彼がバカでかい選手たちを相手に決勝まで勝ち上がった勇姿は、感動なんて言う言葉では軽すぎる。人間の持つ可能性を追求する素晴らしさを示してくれた。
 最近はテレビのバラエティー番組などでたまに見かける程度だったが、かつての英雄を見るとき、やはりあの頃の勇姿を思い出す。感動していた自分の心も思い起こす。「あの人が頑張っているんだったらオレだって!同い年じゃないか!!」なんて、あ~懐かしい。

 授業中のケガが多いことや、若い年代の武道離れもあり、柔道に対するかつてのような人気は陰を潜めて久しい。試合での勝ちに拘りすぎて、ポイントを取ることに執着し、正々堂々の精神とか、一本を狙うひたむきな攻めの姿勢とか、忘れられているような状況も拍車を掛けている。
 古賀稔彦さんの美しい一本背負いを見て欲しい。柔道の素晴らしさと魅力に吸い込まれ、もう一度柔道を見直すいいきっかけになることだろう。
 たくさんの勇気をありがとうございました。お疲れ様でした。

 ご冥福をお祈りします。

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