Persona

投稿者: | 2021-04-02

 私はあまりアルコールが体質に合わないと思っている。たくさん飲むと気分が悪くなるし、次の日は本当に辛い。ただ酔った感覚というか、酔っぱらう前の、少し上気して何だか楽しい気分になるのは嫌いではなく、また飲み会の楽しい雰囲気は大好きだ。ある意味では楽しむための一つの道具として、お酒をいただくような感覚。だから自宅での晩酌とかは一切しないし、しなくても全く問題ない。コロナの状況も手伝って、最近はいつ飲みに出かけたのか覚えてないくらい飲んでいない。
 こうして書いていると私が全然飲めないように思われそうだが、そうでもない。飲めない友人から見たら、私にお酒が弱いという印象は無いだろう。いわゆる“たしなむ”程度には飲める、としておく。

 お酒を飲んで初めて記憶が飛んだのは大学生の頃だった。東京の新宿で友達4、5人と深夜まで飲んでいて、次の記憶が初台の友達のアパートで朝目覚めた時だった。どうやってそこまで行ったのか、財布やカバンはちゃんと持っているか、昨晩どんな出来事があったのか、お金はちゃんと払ったのか、全く何にも覚えていなかった。それ以上に何か“しでかして”しまってはいないだろうかと、底知れない深い恐怖に怯えた。「覚えていないことには責任が取れない」という、そんな何か、まず言い訳を考えてしまう自分がいた。突然頼りどころのない空間に放り出されると、人間は面白い反応を示す。その時はそんなのん気を言っている場合ではなかったが。

 「飲みにケーション」という言葉を聞いたことがある。お酒を飲むと気が大きくなり、普段は口に出せないような本音を吐露し始め、お互いが腹を割って話すことで関係を成熟させることができる、というような意味合いだと思う。
 お酒の席でよく見る光景に、酔っぱらうと子供のように甘えたり、わがままをしたりする人が出てくることがある。あるいは泣いたり叫んだり、周りを顧みず喜怒哀楽を突然表し始める人がいたり。それは極端な例だとしても、お酒にはもしかしたら、その人が普段被っている仮面を溶かす作用があるのかもしれない。その人の“素”が出るというか、無理しているのがバレるというか、嘘がつけなくなるというか。和んだ場で思い切って言ってみようという勇気が湧いてくる場合もあるかもしれない。
 確認のしようがないが、恐らくこれは日本人に特徴的な現象のような気がする。あるいは儒教文化の影響を受けているアジア圏では共有できる部分か?

 こういった飲み会文化はもろ刃の刃だ。本音を吐露したことで返って関係が悪化することは大いにあり得るし、悪智恵の働く人がそういう兆候を利用して、酔っぱらわせた人を罠にはめる可能性だってある。また露わになる感情はいいものだけではなく、暴力を交えた事件に発展するケースは少なくない。
 本当はアルコールの力を借りずに、上司と部下等の立場を越えて、真の議論ができるに越したことは無い。相手の社会的地位や性格などに関わりなく、「自分に対して相手が抱いているだろうと自分が思い込んでいる、偽りの自分の姿」を意識せずに、シラフで自分の言葉をお互いが語り合えたら、それは本当に素晴らしいことだと思う。それがなかなかできない。他方で日本人がそうできなかったからこそ、夜の街の文化が栄えた。嫌いじゃない。主役が交代する夜の熱い会議は、今日も社会を支えている。

 「オレ、昨日何かヤバいことしなかった?」って聞きまくったなぁ……汗)

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