バベルの塔

投稿者: | 2021-04-15

 こうして毎日一生懸命書いているブログを、英語でも表示させたいと思っている。実は最初始めたときは併記させていた。インターネット上の無料翻訳サービスを利用しながら、違和感がある訳を部分的に自分で修正して載せていた。それが段々と負担になっていった。大変すぎて、肝心の日本語の文章を書くことが疎かになりつつあった。
 無料翻訳サービスを通して吐き出される訳文は、ちょっと酷すぎる。単語はまぁいいとして、文章になると自分が書いた文章とは思えなくなるような、誤訳というか、「そういうことじゃないよ」とツッコミを入れたくなる英文が上がってきた。結局最初から全文を自力で書き直す始末。あのままでは読む人に思いがちゃんと伝わらない可能性が高かったので、修正には時間がかかり過ぎるし、併記を諦めていた。

 この私の文章を一人でも多くの人に触れてもらいたいという強い欲求がある。そして少しでも読みたいと思ってくれる、私と感性を共有できる人がいたら、ぜひ読んでもらいたい。人種や宗教、文化、性別、年齢を問わずに。そうするにはやはり英文は必要だし、もし用意できれば出会える人の数は何倍にも膨れ上がる可能性があると思う。しかしながら前述の通り、英訳にこれ以上の時間と労力は割くことは、本業の都合もあるし、現実的ではない。
 ちょっと投資してみようかと思う。そんな高額はかけられないが、一日100円くらいなら、きちんと訳してくれるのであれば試す価値はあると思って、有料の翻訳サービスを探してみた。すると一番安くても一日200円はかかってしまうようだ。AIが搭載されたプログラムで、月に6,000円ちょっと。やってみようかなと思う。まずは2週間のお試し期間があるので、それで訳し具合を見てみることにする。うまく行けば、こんなに嬉しいことはない。何だかまだ知り合っていないたくさんの人たちが、私を待っていてくれるような気がする。気のせいだろうか?

 言葉の違いは時に無用のものに思える。今回の英訳の問題にしても、世界が同じ言葉を使っていたとしたら、生じない問題だ。そもそも英語を話すという目的のために、私は人生において何万時間を費やし、両親と自分自身に一体いくらお金を使わせたのだろう。それでもこの程度しか上達しなかった私の英語は、間違いなく有罪だ。だがしかし、果たして言葉の違いは無用だっただろうか。英語との格闘の歴史は無駄だっただろうか。

 使命を探し求める自分探しの旅に終わりがないように思えるように、学びにも終わりがないように思う。終わったと思ったときが死ぬときかなと本当に思っている。終わりが見えないからこそ希望がある。ですよね?、先生。
 数多の山と谷を越えて、私たちはまた日々新たにされていく。終わりのときが来るその日まで、もがきたいと思う。人と人の間で違いを乗り越えて、分かり合うことを目指したいと思う。違うからこそより強い絆で結ばれることがあったなら、それはとても素敵だ。違いを恐れず、これからも向かい合っていきたい。

 無駄が文化を創り、養っていく。

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