Chemistry

投稿者: | 2021-04-28

 基本的に、辛い思いをしたことがない人は、辛い思いをしている人の気持ちが分からないと思う。完全に同じ思いを共有することは、違う人間である限り不可能だと思うが、経験が無ければ、近づくことさえ難しい。喜びや悲しみ、悔しさ等々、様々な感情それぞれに言えることだと思う。だから経験が豊かな人はそれだけ、「色々な人の気持ちに寄り添える」のだと思う。実体験は、本を読んだり映画を観たりして得る感覚とは、本質的に違う。生身の経験は頭だけではなく、まさに身体で感じ、覚えるものだと思う。

 今考えると、本を読まない為の体のいい言い訳だったのだが、若いころは「本を読む時間があったら、行動しよう」と心がけていた。何ものも実体験に勝るものはないと信じていた。間違ってはいないと思う。実際に潜り抜けてきた冒険の記憶は、より確かに体の中に蓄積されることと思う。それを踏まえた上で、読んだり観たりして刺激を受けることは、その自分の経験をさらに膨らませてくる相乗効果があるのではないか。
 昔読んだ本にちょっと目を通していて、こんな本だったっけ?と思うことがある。同じ本を読んでいても、昔と今では引っかかるところが随分違ったりする。経験が豊かであればあるほど、新しい刺激がもたらすヒントを幅広く受け止められる。そしてそれが新しい言葉となって行く手の視界を広げ、歩みを進める力をより強くしてくれる。どちらかではなく、経験と刺激は呼応し合うような間柄であるように感じられるようになった。

 「mixi」というSNSがある。2005年の11月~2012年の5月まで、ちょくちょくそこで日記を書いていた。今調べると全部で341件あった。一時期は毎日のように書いていたが、特に最後の方は「たまに気が向いたら」くらいの頻度でしか書けていなかった。だからほぼ10年前に書いた文章になるわけだが、いわゆる当時の「アウトプット」を少し読んでみた。
 10年前と言えばもう私はすでに40を過ぎたおっさんになっていたわけで、多少はちゃんと書けていたのだろうと思いきや、いやぁ、もう恥ずかしくて独りで赤面してしまった。いや、今が立派に書けているなんて、そんな生意気なことは言っていない。この文章だって10年後には恥じる内容なのかもしれない。でもその危惧はちょっと置いておいて、まぁー、稚拙な文章だった。主に地元のサッカーチームの動向を追った内容が多かったのだが、触りを読んで続きを読みたいと思わせてくれたものは、思ったよりずっと少なかった。非常にがっかりして、残念に思った。と同時に、これと比べればの話だが、今は随分と書けるようになっていることに気づいた。この10年間に何が起こったのかを、得体の知れない胸騒ぎを感じながら、思い返してみようと試みる自分がいた。

 特に書き方を誰かに教わったことはない。通信講座その他、何かのコースも何も受講していない。ただ毎日のように、仕事でホームページの更新や文章の校正作業は一生懸命やっていた。
 聖書をはじめ、本は読むようにはなった。でもそれもここ3~4年くらいでの話だ。これと言って決定打は見つからない。ただただ不思議だ。もしかしたらそういう素地があって、たまたま熱心に本を読み始めたら、相乗効果で執筆能力が開花したのかもしれない。もしそうだとしたら……、今後が楽しみになってきた。

 しっかし40代であれじゃあ、恥ずかしくてどこにも出せない。

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