A Beautiful Mind

投稿者: | 2021-05-03

 基本的な欲求の中に、「他者から認められたい」という感情があると思う。自分のことを知って欲しいという願い。それは傲慢な思いなのだろうか。人は神さまとの関係の中で、慎ましく、主張することなく、他人を愛して、誠実に生きるのみなのだろうか。
 自分のやりたいこと、やるべきことを貫いて、結果、他人から認められるというご褒美をもらえることがあると思う。そんなことが起きたら本当に幸せだ。でもその過程で、どこかで「いつか認められたい」、「多くの人に自分のことを知ってもらいたい」という願望が生じるものなのではないか。それを責めることはできるのか。

 映画「ビューティフル・マインド」(2001)を観た。ストーリーやキャストなど、事前に情報を全く持たないで、映画を観るに越したことはないと改めて思った。この伝記映画を、「統合失調症を患いつつも、晩年にノーベル賞を受賞した天才数学者の話」などと知っていたら、面白みは半減しただろう。主演俳優の演技は非常に良かったと思ったが、それ以上に助演のジェニファー・コネリーさんの演技に感銘を受けた。というか、ストーリーが良くて、その良さを役者が充分に表現してくれたというべきか。随分前の映画「ラビリンス」(1986)の頃と比べては申し訳ないが、人が違うかと思うほど上手くなっていた。美しかった。

 この作品の中で主人公は、狙っていたわけではないけれども、ノーベル賞受賞という「成功」を手にした。才能があったんだろうし、加えて本人の努力がそうさせたことは言うまでもないのだろう。成功するためには、その辺は不可欠な要素なのではないか。そしてこの映画を観て私が一番気づかされたと思ったことは、今さら当たり前の話かもしれない。「独りではできなかった」こと。実在の人間の伝記映画ということで、どこまで脚色しているかは分からないが、この主人公は妻の愛と支えが無ければ、ノーベル賞はおろか、廃人同様な状態で人生を終えていただろうことはまず間違いない。つまり二人で成功という誉を手にしたと言えると思う。妻が彼を救った。
 感動的なハッピーエンドのお話にはいつも“愛”だの“友情”だの“助け合い”だの、きれい事ばかりが並べ奉られる。でもそれでいいんだと思う。“きれい事”を目指すしか、他に方法があるだろうか。

 成功することだけが目的だとは思っていない。成功を目標に生きることも、ちょっと違うんじゃないかと思う。しかし結果的に他人から評価されることはとても嬉しいし、名誉なことではないか。
 結局、一人では難しいということなのかと思う。配偶者なのか、同僚・友人なのか、ライバルなのか、一つ何かを成し遂げようとする時、他者の助けが必要なんだと思う。私は自分の力だけでやろうとする部分がまだまだ多すぎる。諦めきれていない。人と人との間でしか自分を磨けないことを今一度思い出させてくれた、いい映画だった。

 私は知ってもらいたい。

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