ゴールデンウィーク

投稿者: | 2021-05-04

 「休み」とは何だろう。仕事をしなくてもいい日、好きなことをしていい日、何もしなくてもいい日、等々。人それぞれ「休みの日」に対するイメージや具体的な過ごし方は違う。一般的にはやはり「仕事」と相対するものとして捉えられていると思う。しかし実際には休みの日でも“仕事”をしなければならない状況は多い。流行りのDIYなど普段できない家事にまつわることや家族のサポート、或いは趣味に没頭したり、ボランティア活動や教会へ行く人もいるかもしれない。“仕事”と捉えるかどうかは本人次第だが、文字通りに「身体を休ませる」という意味では休んではいない。「好きなことをできる日」という解釈が一番近いかなと思う。

 好きなこと・やりたいことと仕事が同じ人の場合はどうだろう。例えば会社勤めであっても、仕事として始めたんだけれども、業務内容が非常に性に合って、もはや自分の趣味のように休日も勤しんでいる人がいるかもしれない。そうなれたら幸せだろうと思う。もう迷う余地はないのではないか。やっていることについて「本当にこれでいいのか」という吟味はいつも必要だし、適度に身体を休めることは絶対条件だが、平日も休日もなく没頭できるものに出会えたことは、きっと格別な喜びだと思う。疲れることを忘れてしまうのかもしれない。

 残念ながらそうではなく、仕事を“こなしている”人の比率は圧倒的だと思う。大げさではなく、見えない鞭を自分に入れて、勤め先へ向かう人は多いのではないか。最近では週5勤務、或いは週5.5日という隔週に土曜日を休むところがあるそうだが、先日何やら「週4」という活字を目にした。賃金額がそのまま確保されるのであれば良いとは思うが、そんなにうまくいくのだろうか。
 お盆や年末年始の休みなどで一週間休みが続くようなことがあると、私はその休み明けが非常に辛い。緩んでしまった身体と心を元のペースに戻すのに、恐らく一週間ほどかかってしまっている。キツい一週間だ。それだけ普段の出勤時は、緊張して気を引き締めて取り掛かっていることがよく分かる。よって、例えば間に一日休日出勤するなどして、そこまで長期の休みになることを避けるようにしている。そうしないと自分が辛くなるのが恐いのだ。私の仕事内容が「好きなこと・やりたいことではない」ことが、ここで明確に実証されてしまっている。

 それが学校だったらどうだろうか。今はそれなりに経験を積んである程度の強さを培い、責任もあるし、何とか自分に鞭を入れることができている。それがもし若い時分の、何の自信を持ち合わせていない無垢な存在の時に、それほどのプレッシャーを日々感じ取っていたとしたら、果たして登校することなんてできるだろうか。学校を大人でいうところの“仕事”のように感じてしまっていたら、自分を奮い立たせて学校に歩を向かわせることなんて可能なのだろうか。ましてや長期休み明け、戻って来られる術はあるのだろうか。そういうお子さんが今、相当増えてきているとよく耳にする。
 休むことは絶対必要だと信じている。そうでないと色々擦り切れてしまう経験をしてきた。その上で特に子供たちには、クラブ活動なのか、習い事や林間学校なのか分からないが、長期休みの期間にも何かと繋がっていて欲しいと思う。平日・休日に関わらず、夢中になれるものに出会って欲しい。

 今年は4日間、お休みいただきます。

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