ピーマン

投稿者: | 2021-05-13

 ピーマンが嫌いで食べられなかった。だいたい野菜類はあまり好きではなく、小さい頃は肉ばっかり食べるもんだから、母親は「お肉を食べたらその3倍の野菜を食べなさい」と毎日のように口を酸っぱくして言っていた。いつから野菜を好んで食べるようになったか覚えていない。嫌いな野菜類の中でもピーマンは代表格だった。どうしてあんなに不味いものが食べ物として存在できるのか不思議だった。今では毎朝のようにお腹に優しいサラダから食べ始め、ピーマンを乗せたトーストをいただいている。変われば変わるものだ。

 ピーマンに限っては、食べるようになったきっかけを強烈に覚えている。高校の時の授業で、野菜を栽培した中にピーマンがあった。当時はまだ目にするのも嫌なほど大嫌い。ところが目の前に青々と実がなった瑞々しい小さめのピーマンを眺めていると、無性に食べてみたくなった。確か当時、栽培した野菜を収穫したときはクラスのみんなと集めた野菜を囲んでお祝いのようなことをしてから、給食で材料に使ってもらうなりしていたはずだ。だから採ってその場で食べちゃうなんて許されることではなかったと思うのだが、私はプチっともいで、ガブっと口に入れてしまった。決め事に従順な私には珍しい奇行だったと我ながら思う。しかしあの時の新鮮なピーマンのおいしさは忘れられない。苦味なんて全くなかった。本当に瑞々しい食べ応えで、フルーツとは違って甘さはなく、でもシャキッとした“さわやかさのようなもの”を味わった。例えば毎日たくさんの量を食べたくなるようなおいしさではなく、何か特別な滅多にお目にかかれない贅沢品のような気がした。本当においしかった。

 それ以後、やはりもぎたてのおいしさは特別で、どのピーマンも感動的においしく感じるようになったわけではなかったが、嫌悪感は消え去った。今でもピーマンを食べるときはあの時を思い出すことが多い。「このピーマンは新鮮かな」等と、たった一回のあれだけの経験しかないのに、ピーマン博士にでもなったかのように生意気に品定めする。それだけセンセーショナルな体験であったことは疑いようがない。

 キャビアとかトリュフとかフォアグラとか、フカヒレとか雀の巣とか北京ダックとか、松阪牛とか鮑とか大トロとか、世の中にはたくさんの美味しいと言われているものが溢れている。銀座辺りに行けばそういうものにお目にかかれるのだろう。残念ながら私はそれらの高級食材にはあまり縁がない。でも仲間と一緒にちょっとだけ頑張って汗をかいて育てた、大嫌いだったピーマンの美味しさを知っている。本当を言うと、高級な方もピーマンもどちらもよく知っていて、「やはり額に汗して手にした美味さに勝るものはない」な~んて言えればカッコいいのだが、実証はできていない。どちらがいいとか悪いとかは分からない。ただ今はもう農業とはかけ離れた生活をしているが、若い時にそういう経験をしたことは、これからも誇っていい貴重な体験だったと思う。

 うん、でもやっぱりちょっと甘かったかも。

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