Sound

投稿者: | 2021-06-13

 クーラーをつけるほどではないが少し気温が高いので、網戸を閉めたまま窓を開けてみる。目を閉じて耳を澄ますと普段は気づかない音に気づく。車やバイクが通り過ぎる音はいつも大きめで、当たり前のように耳に入ってくる。今日は日曜日なので近所の子供が公園で遊んでいる声が聞こえる。女の子が時おり悲鳴のような叫び声を上げて大騒ぎのようだ。風の音が聞こえる。木々の葉がこすれ合い、その摩擦音の強弱で風の強さを窺い知る。今日は少し強めだろうか。川面を行き交う船の音が聞こえる。車のそれとは全く違い、誰でも聞き分けられると思う。基本的に低速のせいかドップラー効果が無く一定で、もっとディーゼルな感じだろうか。遠くで近くでカラスが鳴いている。恐らくスズメの“ちゅんちゅんちゅん”は結構近い。この音は何の音だろう、近所の家の風鈴なのかな、明らかに意図的な異質の音が混じっている。ああ、ずいぶん遠くに飛行機の音が聞こえた。こうして聞いていると自然の音は少なく、自動車の音を代表に人工的な音が圧倒的なことに気づかされる。

 梅雨入り前のこの時期が一番好きだ。気温は25~30℃弱まで上がるが、湿度がまだ低いせいなのか、じっとしていればそれほど汗ばむようなことはない。風が吹けばとてもさわやかで気持ちがいい。木々は美しい葉を一年で最も豊富に纏い、青々と素晴らしい景観を生み出してくれる。何と言っても日が長いのが嬉しい。明るさが長く続くと生命が長く続くような気がして、それだけで喜びさえ感じている。神さまへの感謝が一層募っていく季節。神さまの恵みに感謝したい。梅雨入りし、夏至が過ぎてしまうとまた暑い日がやってくる。それまでの短いこの大好きな季節を楽しみたい。

 若い頃は本当に、自然とか季節とか草木とか、その美しさに気づけなかった。目の前に見えてはいるが、見ていなかったという表現が一番分かってもらえると思う。「心ここにあらず」というか、「今」を生きようとせず、未来ばかりをいつも心配していた。過去を考察し学びや悔い改めをしようとせず、未来ばかりを夢見ていた。気持ちは痛いほどに分かるが、恐らくその情熱のベクトルは間違っていた。今を強く生きられなければ、未来は力強いものにならないと思う。力強く生きたい。

 日々の感謝が足りないということだと思う。すなわち生命への感謝、生きられることへの喜びが足りない。だから困難にあって逃げようとしたり、誤魔化そうとしたり、嘘をついたりする。覚悟が足りない。でもそれは無理もないと思う。今まで目の前の「今」を見ずに生きてきたのだから。しかし残念ではあるけれども「後悔」はしていない。できない。「やっと気づけた」という思いの方が強いから。やっとここまで来たと思えるから。
 クーラーも窓も車やバイクも公園も船も風鈴も飛行機もドップラーも、全部誰かのお陰でそこにある。全てのものが誰かと私をつなげてくれている。だから子供たちが公園で安心して遊び、私がブログを書ける。太陽や風や空や木々や鳥たちがいてくれて、環境が保たれ、私たちが生きられる。神さま、一日一日に感謝します。

 何か後半の内容は前にも書いたような気がする……。ま、いいか。

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