準備

投稿者: | 2021-07-23

 「勉強するときはリラックスして、軽くBGMを流しながらやるくらいの方がいい」と高校時代に聞いたことがあった。それを真に受けて、当時は音楽やラジオを聴きながら受験勉強に打ち込んでいた覚えがある。果たしてその効果があったのかどうかは分からない。散々不合格をもらったのだから、「効果はなかった」と言ってもいいとは思う。
 現在の話、本を読むときにはあの頃の勉強と同じように音楽を聴きながらと思うが、かけていると私は気が散って読めなくなってしまう。できればし~んと無音の状態がいい。同様にしてこのブログを書く時も、何か音が鳴っていると集中できなくイライラしてしまい、書けない。本当に集中したいときは、私は余計な要素は排除して、一点だけを見つめたいタイプのようだ。

 以前に能力開発のようなレッスンを受けたことがある。いくつかの手法を教わった中で、私がとても気に入ったゲームとも言えるレッスンがあった。それは4つのことを同時に行うというもの。聞き取れないような速いスピードの英語文を聞きながら、視界をできるだけ広範囲に広げ意識し、本を開き意味を把握しなくてもいいからできる限りの速さで文字を目で追い、そして連想ゲームをするという内容だった。これ、なかなか大変で、10分やるとそれなりに疲れを覚える。最初は戸惑うが、やっているうちに段々楽しくなっていき、得意にもなっていった。ホントに何だか能力が開発されたような気さえする。あれは良かった。
 脳を鍛える訓練として、複数のことを同時にするという方法は何となく腑に落ちる。馴染みのない負荷をかけることで脳の活動領域を広げ、今まであまり動いていなかった部位が刺激されるかもしれない。それは未知の自分の「覚醒」に繋がるかもしれない。確証はないが、ただトランプの「神経衰弱ゲーム」をすると、近頃は悲しいほど覚えられなくなっていたのに、何となく覚え留めておく力が戻ってきたように感じる。もし事実であれば、それって凄いことだと思う。そのレッスンも続けなければ意味がないのだろうが。

 私は何事についても「諦められない」タイプなのだと自覚する。髪の毛はもう諦めた。もう抗えない。スキンヘッドで上等だ。しかし太り過ぎは自分次第で何とでもなる。痩せたければ食べずに走ればいい。私はそれを実践した。痩せた後も食事の量には留意し、リバウンドに対する警戒を緩めない。
 体力の低下はどうだろう。水泳を始めたりランニングをしたり腕立て伏せをしたりして、何とか低下していくスピードを抑えるように努力している。結構キツいのでそれぞれいつまで続くかはお楽しみだ。そして脳について、「数独」とか「ナンプレ」と呼ばれる脳トレゲームは、好きでほぼ毎日欠かさず行っている。また能力開発のレッスンは続けていきたいとは思っているが再開できていない。お金がかかることだし、こちらは大変だ。

 何もしなければ老いる。個人差はあれどみんなに平等だ。私はまだ何かしたい。まだ気づけていない託された使命があるように思っている。見かけをまだ若く見せたいという気持ちがあることも否定しない。しかしそれ以上に、啓示がもしあった時に、いつでも挑める心身の状態を整えておきたいという思いの方がはるかに強い。三日坊主な私が顔を出さないことをいつも祈っている。

 音楽も聴きたいんだけどね~

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