カナダのトロント市で2年半にわたって生活した後、事実上の強制送還をされてから6年が経ち、カナダにもう一度入国した。カナダで移民になることはすでに諦めていて、その時は単なる観光旅行として訪れた。勤めていた小さな映像プロダクション会社を辞めて独立しようと決心した時で、「起業」という一つの方向へ向かって無心に突き進むために、心の中にずっと引っかかっている「カナダ」への未練を整理したい目的があった。避けては通れない過程だったと思う。
トロントに入る前に、以前から行ってみたかったシカゴを訪れた。時は12月31日の大みそか。一人でミシガン湖のほとりにあるホテルにチェックインした。すでに夜になっていて観光と言う感じではなかったが、夜が深まってからとりあえずミシガン湖に行ってみた。辺り一面深い雪景色で人の気配がなく、し~んと降り積もった雪上に足跡などの人が入った跡が全くと言っていいほど見られなかった。もしかしたらシカゴの人々は繁華街での新年を迎えるパーティーに夢中で、年の瀬にこんな凍えるような寒さの港には用事がなかったのかもしれない。おかげで私はちょっと現実とは思えないほどの、極めて幻想的な雪の世界を独り占めにしていた。
何せ人が一人もいないのだ。雪が腰まで積もった港湾地域とは言えども、夜のギャングの街を一人で歩くのは少し怖かったが徐々に慣れてきて、たった一人のシカゴを満喫した。驚くほど雪質がサラサラで、雪の中を泳ぎを知らない子供のように泳いだ。静寂に包まれた湖を見つめながら、私は間違いなく無邪気に笑っていただろう。遠くに大好きなNFLの「シカゴ・ベアーズ」の本拠地であるソルジャー・フィールド・スタジアムが、月と雪に照らされ浮かび上がっていた。辺りの雪景色がいつまでもキラキラと輝いていて、映画の1シーンのような風景に長い時間とろけていた。いつ妖精が舞い降りてきても私はもう驚かなかったと思う。あの奇跡的な夜、シカゴにはきっと私一人しかいなかった。
シカゴからトロントは近い。国内旅行の感覚と言えば分かりやすいだろうか。トロントに住んでいた頃の友人で、あの後移民になり、今なおトロントで生活している女性と会う約束していた。約束のプールバーへ行くと、懐かしいカナダ人の仲間二人がサプライズで駆けつけてくれていた。日本人とは正月に対する感覚は違うだろうが、たしか1月2日か3日のことだったので、急によく来てくれたと思う。
彼らの一人と硬く抱き合った時、期せずして涙腺が崩壊した。自分があんなに泣くことができる人間だとは知らなかった。彼の肩で随分と長い時間泣かせてもらった。5分も泣き続けた感覚だが、実際は2分以内だっただろう、大粒の涙がポタポタとひたすらカーペットを叩いた。悲しかったわけではない、恨めしかったわけでもない、ただ洗い流されたのだと思う。「夢」と言う名の私のカナダが。
あれから20年以上経った今、私はまだこうして生きている。「よく生きてこれたな」と、考えてみると不思議な感じがする。いろいろあって人生なんだな~と改めて思う。本当にいろいろあったね。
キッラキラで、サッラサラだったよ