言い訳

投稿者: | 2021-09-20

 今、任されている立場・仕事で「とことんまでやっているか」ということかなと思う。何かをしようとする時はどうしたって何らかの制限がかかるし、「自分の思い通りに」なんていう環境は「あり得ない」と言い切っても差し支えないだろう。その場所でどれだけ自分が懸命に誠実に生きられるか。仕事というより「生き方」かな。カッコよく言うと「仕事」って生き方の一つの表現方法かなと思う。で、自分はそれほどに仕事に打ち込めているかという問いにぶつかるわけだ。

 一応クリエイティブな仕事をしているつもりであるし、もっと自分の好きな映像作品を好きなように作りたいと思う。あと何年働けるか計算が立つような年齢になってきて、YouTubeでも何でもいいから、何か爪痕を残したいと強い思いがある。だがそういう環境を準備できないのは、他ならぬ私の力量不足のせいで、そこに不平不満をぶつけるのはおかしな話だ。無い物ねだりのわがままを言っても事態は動かない。ではどうするべきか、自分はどうしたいのかを真剣に考えてみた。

 必ずしもクリエイティブではない内容の仕事が多いことが、辛くなってきているのは正直なところだ。その気持ちは痛いほどわかる。でも例えば今の業務を離れて自分の作品を作ることを始めると仮定したときに、それは「逃げ」になるのではないかと思う。辛くて気に入らない環境から逃げ出して、言い訳の世界へ雲隠れする。私がそんな人間では、どっちにしろいい作品は作れないのではないかと思う。うん、そこかなと思う。
 今の状態で「やり残したことはもうない」と胸を張って言えるほどやり尽くせたら、その暁にはまた新しい境地と言うか、新しい扉が開かれるような気がする。それこそ真っ白に燃え尽きるまで完全燃焼できたら。それは本当にオリジナル映像作品を作り始めることかもしれないし、全く別の世界への招待かもしれない。分かるはずもないが、神さまが与えてくださった「今」という時間を精一杯生きて、この恵みに本当の意味で感謝できれば、自ずと行くべき道は示されるのではないかと思う。

 「言い訳」をすることを止めて「本気」で生きる。な~んてカッコよく決められれば良いのだが、残念ながら私はそういうキャラではない。実際は自分に言い訳ばかりして、面倒な仕事をやり過ごそうとする“逃げ”の職場生活を過ごしている。仕事よりもそれこそプライベートの、例えばこのブログや水泳の方がよっぽど情熱を込めて続けている。ここにもダブルスタンダードな問題があるわけだ。
 仕事の場合、どこかで損得勘定が働いてしまっている。それは自然なことで、そこはビジネスとして割り切って、うまい具合に帳尻を合わせていけばと思っていた。普通はそれでいいのだと思う。でもそれでは仕事を「生き方の一つ」と呼ぶことはできないのだろう。何と言っても一日の内で一番長い時間を費やす「仕事」で、私の生き方を表現してみたい。やってみようかと思う。自分のオリジナリティを発揮する場所は、きっと作品の中だけに限らない。

 やってみるか!?

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