Last Request

投稿者: | 2021-09-21

 「この手紙をあなたが読んでいるということは……」で始まる手紙を読むシーンが映画にはよくある。筆者が自分の死を覚悟して書き留めた手紙で、「遺書」と言ってもいいかもしれない。自分が生きている間にはもう会えないと分かっている人への手紙。多くの場合は連れ合いや恋人、親友、または家族へ宛ててのものになるだろう。最愛の人への最後の手紙だ。

 もし自分がそういう手紙を書くことになった時を想像してみる。まだ年齢的にも健康面を考えてもちょっと早いかなと思うが、乗っている飛行機が落ちるかもしれないし、コロナで死んでしまうかもしれないし、まぁ何が起きるかは分からない。私の場合、恐らく深刻な文面になってしまうことはほぼ間違いないだろう。“ウケ”を狙えるほどの器の大きさは無さそうだ。「感謝」よりは「謝罪」の色合いが色濃い文章になりそうな気がする。「迷惑ばっかりかけてごめんね」という具合に。自分のダメさ加減を悲観するんじゃないだろうか。そんな気がする。でも愛していることは、直接「愛」という言葉を記すかどうかは別として、やはり何とか伝えたいと思う。そして読んだらやっぱり私の死を惜しんで欲しい。心を込めて一生懸命書けば、できるかな。

 映画「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」を観た。フィンランドで作られた映画で、ハリウッドに比べれば間違いなく低予算の作品だろうが、よくできていると思う。美男や美女も登場することはなく、アクションもSEXシーンも無しで、主役はかなり高齢の男性老人という設定だった。自分の野望に取り憑かれてしまい、家族の存在の大切さに気づくことができないこの老人の生き方に、私は強い苛立ちを覚えた。無礼を承知で不心得な表現をすれば、「こんな小規模の安映画に、心を持って行かれてしまった」。
 私はこの主人公に自分を見たんだと思う。つまりこの映画は私にとっては自分を映し出す「鏡」だった。そのことに気づきながらも、愚行を止めようとしない主人公にさらに怒りが増していった。「その歳になっても、まだ分からないのか」。映画の中のことなのに、真夜中に年甲斐もなく、カァーッと顔が熱かった。

 悪役のずる賢さや憎たらしさも素晴らしく良く演出されていて、映画の原点のような、予算の大小でその作品の品質が左右されるものではないと再認識させられた。一人娘への最後の手紙にも心を打たれた。
 こういう作り方は非常に勇気づけられる。まず本の質が大切なことは言うまでもないが、作り方や頭の使い方やスタッフの熱意やチームワークや経験から来る工夫や若さや、そういう人間力みたいなものでいい作品はきっとできると信じたい。
 英語の勉強を兼ねて映画を観ている部分が何パーセントかあるので、この映画のように言語が英語じゃないのは私にとっては少しマイナス要素にはなるのだが、そういう問題を忘れさせるクオリティーがあった。観終わってスッキリした感じは全くせず、反対に少し“どんより”した鈍痛が残る作品だったが、こういうのを俗に“いい映画”というのだと思う。もう少し英語じゃない映画にも手を伸ばそうかなと思わされた。

 「聖画の前では誇示ではなく謙遜」

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください