Psychology

投稿者: | 2021-09-26

 「エゴグラムテスト」というのがある。心のバランスを分析する自己診断テストだ。以前にやったことがあるのだが、テスト結果は変わることもあるということで、今一度真面目にやってみた。結果に良いとか悪いとかということはなく、自分の考え方や行動の傾向が分かるということらしい。
 ザっと分析してみると、私は理性的で合理性を尊び、でも機械的で冷徹な部分があるようだ。また天真爛漫なところに欠け、創造性が乏しいということらしい。そして奉仕精神が豊かで相手に共感や同情ができる人という診断になるようだ。ん~、そうなのね。そうかもしれない。
 3年ほど前、聖書研究会を始めてすぐくらいの時にこの同じテストをやったことがあった。あれから精神的に変わっているかなと少し期待してやってみた。それくらい聖研は私にとって心の大きな支えになっているから。ところがほとんどテスト結果は変わっていない。なかなか人って変われるもんじゃないんだなと実感した。自分では毎日の心持ちがずいぶん前向きになったように感じているのだが、そういうこととはまたちょっと違うのかもしれない。また数年後にやってみたいと思う。

 心理カウンセラーになりたい、なろうと思って大学で心理学を専攻した。これを志したのが一つ運命の分岐点だったかもしれないと思っている。大学を選ぶに当たって教師になることは諦めたが、でも「人」が好きだと思ったし、人の「心」に興味があったので、どうせなら好きなことを学びたいと思い進学した。ところが入ってみて分かったのは、心理学を学ぶに当たり、最初の登竜門的な「実験心理学」という必修の授業があった。この単位を何とか取り切らないと次へは進めない。しかし私はこの最初の授業で躓いてしまい、この後この一授業のために大学を2年間留年することになる。

 「オレのやりたいことはこんなことじゃない」というのが、この授業の単位を2年連続で落とした私の一貫した言い訳だ。上記のような「エゴグラム」や「ロールシャッハ」等の心理テスト類であれば全然良いのだが、その授業でやっていたのは、実験器具を自分たちで作成し、それらを使って目の錯覚の誤差を統計的にはじき出して検証する実験など、理科の実験ともちょっと違うし、私には到底大学レベルの心理学の勉強とは思えない、退屈な作業を強いられた。不毛感で圧し潰された。それもグループを組んで協力しながら実験を進めていかなければならず、それがまた負担だった。今考えてもあの授業だけはどうにも我慢できなかった。

 その時の未練がまだ心の中に残っているのか、またここにきて心理学への興味が戻りつつある。今さらカウンセラーになるつもりもないが、学んでおくと何となく日常の生活の中でも役に立つんじゃないかと思う。ちょっと面白そうなので、東山紘久さんの「プロカウンセラーの聞く技術」という本を購入してみた。そんな難しいことでなく、人との会話がもっと楽しくできたらいいなと思う。

 話を聴いているつもりだけど、聴けていないことって多い

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