妄想にふけることが好きだ。癖とも言える。ベッドに入っても眠れない時やお風呂で湯船につかりながら、長い時間ボゥーっと考えていられる。何もしていない時でも、例えばこうしてブログを書こうと思ってネタに思いを巡らせていると、いつの間にか寄り道してしまい、妄想の世界に入り込んでしまっていることがある。もはや悪癖と言えるのかもしれない。他の人はどうなんだろう。比べてみればちょっと私は異常だろうか。そう言えばそんな話を誰かとしたことはないかもしれない。特にその“癖”で悩んでいるわけではなく、話題に上げるほどのことでもないような気もするし。放っておくと何時間でもそのままでいられる。そのうち眠ってしまうのが大体だが。
何を妄想するかと言えば、本当に他愛もないことばかり。分かりやすいところで言うと、「もし宝くじが当たったら何をするか」の類いは誰もが考えるところだろうが、「もし家を新築する時の間取り」とか、「もしプロスポーツチームのオーナーになれたら」や、「住んでいる町の都市計画を立ててみる」等々。こうして並べてみると、何だかもの凄いお金持ちになれたら叶う夢ばかりのようで、我ながら情けなく、ちょっと悲しい感じだ。しかしこの癖を何か有効に役立てることはできないだろうか。自分としてはちょっとした特技のようにも思っている。
本やお芝居のストーリーを考案するなど、何でもいい、放送作家や漫才のネタを考える仕事でも、何かクリエイティブな分野で「妄想癖」を活かせないかと考えてみる。現実にはノウハウを知らない私がそれに挑戦したからといって具体的に何かの形になったり、役に立ったりすることは考えにくい。しかしバカなことでもいいから、恥ずかしかったら仲間内だけにでも構わないから、アイデアを口に出して表現してみることは大事ではないかと思うようになってきた。あまりにも世間に同調し過ぎているというか、枠の中からはみ出さないように目立たないようにしている自分に気づく。自分を守っていると言えるかもしれない。どうせ守ってみたところで、自分が思っているほど守っているものは大したものではないのに。そこに気づくことができておらず、自意識が過剰というか、プライドが高く自分を諦められていない。
日本のプロ野球、日本ハムファイターズの指揮官に新庄剛志さんが就任したそうだ。テレビのバラエティ番組などで垣間見える新庄さんの人柄を推察する限りでは、正直「大丈夫か?」と心配してしまった。しかし私は何を心配しているのだろう。日本野球界の秩序?日ハム球団の来季の成績やもっと先の行く末?社会の中で責任あるポジションのあるべき姿?はたまた世間の常識??。一体私は何に縛られてそんな発想が出て来るんだろうか。私は他者の「限界」や「掟」を勝手に自分で設定してしまってはいないだろうか。私のどこに何の権限があるのだろう。そういう、自分では意識できていない「見えない鎖」のようなものが私を縛り付けている。
恐らく私には想像もできない重いプレッシャーの中で、それを本人が意識しているかどうかは知る由もないが、自分のアイデアを表出できる新庄さんが私は凄いと思うし、正直羨ましく嫉妬心すら覚えている。そして彼を登用した日ハムの勇気と英断に感服している次第だ。応援する気持ちを大いにもって、来シーズンのファイターズを観てみたいと思う。
何が正しいかなんて、誰にも分からない。