Stamina

投稿者: | 2021-11-22

 私はビデオを作ることが本業で、そのためには撮影をしなければならない。CGや写真のみ、または有料の素材映像を使って「編集するだけ」というパターンもあるが、ほとんどは撮影を行い、編集に入る。良い作品に仕上げるために、編集の技術やアイデア・センスは言うまでもなく大切だが、どんなに優秀な編集者でも撮影が失敗すればその能力を発揮できる機会を失ってしまう。撮影は最も大事な作業だ。
 最近はビデオの仕事がめっきり減って、ホームページや印刷物のデスクワークが大半になり、撮影することから随分離れていた。昨日久しぶりに丸一日ロケになり、クタクタに疲れてしまった。私は撮影時はアシスタントなので実際にカメラを回すのはカメラマンの先輩なのだが、三脚を持って一日駆けずり回っているだけでかなり消耗した。日ごろから水泳やランニングをしているので体力は大丈夫だろうと高を括っていたが、やっぱり使う筋肉が違うというか、プレッシャーももちろんかかるし、いやぁ~、疲れた。改めて大変な仕事だと痛感する。

 家に帰っても疲れていると考えることが嫌になる。考えられないというか。普段は放っておいても勝手に色々考えているくせに、消耗している時は嫌悪感さえ覚える。大抵の場合はその嫌悪感がその日の最後の記憶になり、倒れ込むように寝入ってしまう。限界まで疲れに抵抗して力尽きる感じ。ここを克服できる体力が付けられないかな~と思う。もう歳でダメなのだろうか。
 たぶん10kmを走るタイムの短縮や、足をつかずに泳ぎ続ける距離を伸ばすことは、もう少し可能だと思う。体力的にという意味で。しかし「思考能力のスタミナ」とでも言うのか、疲労感が溜まって来た時に思考持続能力を伸ばすことはかなり難しい。体力的に消耗している状態は、恐らく頭も相当に使っていて、肉体の限界は思考の限界に等しいのではないか。疲れるほどに頭脳はフル回転で働き、残っているエネルギーを計算しながら各所へ生き残るための然るべきSOS指令を伝え、何とか身体を支えているのではないかと思う。「疲れを感じなさい」とか「腰に痛みを感じなさい」とか、「喉が乾きなさい」とか、分からないけど。

 だとすると、私が自然と走ったり泳いだりしたくなる原因を紐解くのに、もう一つヒントが加わるような気がする。潜在意識的に「思考能力のスタミナもつけたいと思っているから」。どうだろう、これは結構当たってはいないだろうか!?体力をつければ活動後のエネルギー残量が増え、頭脳の働きも抑えられるのではないだろうか。すなわち体力的なスタミナの向上は頭も疲れにくくするということ。どうだろう、今回はいい線行っていないだろうか。

 ということは、運動すること、もっと言うと仕事においてであっても、身体を動かすこと自体は、頭脳の働きと密接に絡み合っている作業ということになるのではないか。今、甚だ当たり前なことを改めて書いてことに気づく。しかしその当然のすぐ隣に新しい発見があることにも気づかされた思いだ。『動くことはすなわち頭を使うこと』。
 世の中では「ホワイトカラー」とか、「スーツ族」とかという言葉がある。仕事ではあまり身体を使っていない人たちの俗称だ。体力をつけるということは頭脳の耐久能力も伸びるかもしれないという可能性を今日は考えた。いつも身体を使って脳が鍛えられているだろうブルーやグレーの方々を見る目が変わるような気がする。

 回転が速くなるかは、またちょっと別かな~?

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