生きているとやっぱりいろいろ起こるから、悩んだり落ち込んだり、自分を見失ってしまうような状況に陥ってしまうことがある。それはいくつになっても変わらない。平静を装っているだけで心の中は大変だ。歳を重ねると何でもないようなフリをする演技は、確かに上手くなってくると思う。だから大人はあまり物事に動じないように見えるのかもしれない。でも本当は平気なわけはない。少なくとも54歳の私は、毎日自分を精神的に穏やかに保つために結構苦労している。
保ち方のコツを一つ覚えたのが功を奏しているかもしれない。迷ったり、どうすべきか分からなくなったりした時に「立ち返る場所」を決めておくことは非常に助けになる。この「場所」を今は決められているが、この先どう変わっていくか分からない。「ここで、おまえはいいんだな」と、いつも自分に問いただすことが大切で、固定して動かさないということはしない。いつぶち壊れてもいい「覚悟」はしている。
とにかく今は立ち返る場所を決めていて、それは「祈る」ことだ。具体的には祈りの中で「キリスト教の神さまの前に立つ」ということ。「自分の心の声に耳を澄ませる」と言ってもいい。「真に私らしい生き方」を神さまに聞いてみる。或いは「私に与えられた使命を、目の前にある問題を通して、探す」という作業になるかと思う。いずれにしても「神さまへの祈り」の中で行われる行為になる。
こういう話をキリスト教と関係ない人には話せない。話せばいつも変な雰囲気になってしまう。そこを気にせず突き破れないのが、私の弱い部分であるに違いない。本当はイエス様の教えを「宣べ伝える」べきだとは分かっている。でもそれは正直できないし、やるつもりも今はない。宣べ伝えるだけの知識も能力も私には備わっていない、というのが私の体のいい言い訳だ。情けないが、覚悟も度胸も、今はない。
本当に内弁慶で情けないが、クリスチャンたちの間では、こういう話をむしろ進んで投げかけたい。「あなたたちは心の拠り所を神さまに置いていますか」とストレートに問うてみたい。信仰の仕方は人それぞれで構わないが、一番基本のところがブレているようでは、それはちょっと見過ごせない。じじいの小言を言うようで嫌だが、“えせ”と言われても言い訳できないようなクリスチャンが、最近私の周りで多すぎる。
かく言う私はクリスチャンではない。受洗はしていない。だからという訳ではないのだが、そういう立ち位置だからこそ、キリスト教と関りがない人とでも、話ができるのではないかと考えている。キリスト教の考え方の中にはクリスチャンではない人たちにとっても、「強く生きるためのヒント」が充分に含まれていると思う。人と人とのつながり・絆みたいなものを築き上げていくために、キリスト教を参考にして検討していくことは、一つのとても良い方法だと思う。
聖書にはヒントがいっぱいあります
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Christianity and I
When you are alive, after all, things happen, and you may find yourself in situations where you become distressed, depressed, or lose sight of yourself. It doesn’t change no matter how old you are. Just pretending to be calm is hard enough in the mind. I think that as we get older, we certainly get better at acting as if nothing is wrong. Maybe that’s why adults seem to be so unfazed by things. But the truth is that I am not fine. At least at 54 years old, I struggle quite a bit every day to keep myself mentally calm.
Maybe it helps that I’ve learned one trick on how to keep it. Having a “place to turn to” when I feel lost or unsure of what to do helps a lot. You have this “place” set for now, but you never know how it will change in the future. It is important to always ask yourself, “Are you sure this is the right place for you? I am “prepared” to break down at any time.
Anyway, I have a place to go back to now, and that is to pray. Specifically, it is to “stand before the Christian God” in prayer. You could say that I “listen to the voice of my heart. Ask God, “How can I truly live my life in my own way? Or, it may be a process of “searching for the mission given to me through the problems that lie before me. Either way, it is an act done in “prayer to God.
I can’t talk about this kind of thing with people who have nothing to do with Christianity. If I do, I always end up in a strange atmosphere. It must be my weak point that I cannot break through without worrying about that. I know that I should really “proclaim” Jesus’ teachings. But I honestly can’t do it, and I don’t intend to do it now. My excuse is that I don’t have the knowledge or ability to do so. I am ashamed to say that I have neither the determination nor the courage to do so.
I am truly ashamed to be an insider, but I would rather willingly throw this kind of talk among Christians. I would like to ask them straight out, “Do you place your faith in God? People have their own way of believing, but if the most fundamental point of their faith is not in the same place, I cannot overlook that. I hate to sound like an old man, but there are too many Christians around me these days who could be called “fake.
I am not a Christian. I am not baptized. I am not saying that because I am not baptized, but because of that position, I think I can talk with people who have no connection with Christianity. I think there are enough “hints for strong living” in the Christian way of thinking for those who are not Christians. I think it is one very good way to consider using Christianity as a reference to build up a kind of connection and bond between people.
The Bible is full of hints.