情熱のブエノスアイレス

投稿者: | 2020-12-15

 リオネル・メッシという私が大好きなサッカー選手がいる。個人的には人類史上最も優れたサッカー選手だと思っている。彼はFCバルセロナというスペインのリーグで活躍していて、彼だけではなくバルセロナには素晴らしい選手が揃っている。少し前のメッシがシャビ、イニエスタらと共にプレーしていた時代は他の追随を全く許さない強さと華麗さを欲しいままに世界のサッカーファンを魅了していた。一人ひとりの高い技術とチームワークを重視する“思いやり”のようなものが絡み合って昇華した、美しい言わば「芸術」だった。観ていて自然と口元が緩む痛快さと、またちょっと開いた口が塞がらないような感動的なプレーが次々と繰り広げられた。私は間違いなくサッカーが、いやFCバルセロナが好きだった。

 ディエゴ・マラドーナという先日60歳という若さで亡くなった希代のサッカー選手がいた。主にアルゼンチン代表でのプレーが有名で母国アルゼンチンでは極めて特別な存在だ。アルゼンチン政府は3日間も喪に服したそうだ。簡単に言えばイングランドに敗戦したフォークランド紛争のリベンジを‘86ワールドカップメキシコ大会準々決勝で果たした立役者だということだ。戦争とスポーツをそういう風に使うことは我慢できないが、アルゼンチン人にしてみれば図らずも二つの世界的な出来事が、時期が重なって起こった歴史のいたずらだったのだろう。そうやって国民的英雄は誕生した。巨大なアステカスタジアムに舞い踊る大量の紙吹雪と信じられないようなゴールを決めて歓喜するマラドーナに心を奪われたのはテレビ越しで経験した初めての感動体験だった。あれからサッカーを観るのが大好きになった。

 多くの観衆を魅了する力は凄いと思う。以前に地元のプロサッカーチームがJ2で優勝を果たしJ1に昇格が決まった瞬間を5万人の観衆とその場で分かち合ったことがある。感激した。実際の生の経験というのは非常に貴重だ。あの時のスタジアムに溢れるエネルギーは胸の中の身体の芯が燃えるような凄まじい興奮・感動をもたらし、私は純粋にとても嬉しくて清々しい大きな幸せを感じた。経験した人にしか分からない感覚だろう。恐らくあの時プレーした選手やスタッフ、そして私たち観客を含めて5万人以上の心が一つになった瞬間だったと思う。対戦したチーム内にも祝福してくれた人は必ずいる。それくらい悲願の感動的な優勝だった。多くの人の心が一つになれたらこんなに素晴らしいんだと思える経験だ。人生の大きな喜びの一つだったし、今後の人生においても真理を探し求めていく過程で一つのヒント・道標になるような出来事だった。

 どんなに忙しくても毎週必ず実時間で観ていたFCバルセロナの試合に私の関心が遠のいてゆくのを感じている。実際に観ていないのだ。ここ数年では考えられない。もちろん今年のチームの体たらくぶりは原因の一つではある。若返りを試みているそうだが、監督を含めたメンバーの入れ替えと戦略の変化でまるで違うチームになってしまった。けれどもそればかりが理由ではないように思っている。夜10時だとして寝るまで後2時間あったときに、今までは「よし1試合だけ観れる!」と当たり前に録画再生の準備をしていた。ところが昨日は夜10時~深夜2時までかかって喜多川さんの本を1冊読み切ってしまった。次の日を考えればもう寝なければならない時間でも自分を止められないのだ。喜多川泰さんの本の吸引力がそうさせることは分かっている。しかし加えて私の中で何かが確実に変わってきていることも認めざるを得ない。

 メッシも実はアルゼンチン人。次はタンゴでも習いましょうかね。

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