心を開いて

投稿者: | 2020-12-25

 言葉は大切だ。生かしも殺しもできる。他者も自分も。自分が歩んできた経験の中で培った語彙からその時の気持ちや状況に相応しいと思ったものを選んで使う。だから同じ言葉に対する印象が使った側と使われた側で異なることがしばしばあると思う。一つの言葉に対しての思い入れは人それぞれだ。誤解を生むこともあり、言葉以上に通じ合える場合もある。何かを書く場合は慎重に言葉を選べる時間がある場合が多く、判断を間違える可能性は低くなると思う。問題は会話だ。瞬時に繰り出す言葉をそこまで慎重に選んで話せる人は少ないのではないか。経験の質と量が問われる。リスクが大きいだけ、うまく発言できた時に与える好影響と自分の幸福感は大きいし、一方で失敗した時のダメージはかなり後を引く。良くも悪くも生の現実はシビアだ。


 組織や団体って何だろう。大勢の人間が目的を同じにして共同でその目的達成のために行動する。簡単にそんなところだろうか。会社、学校、自治体、色々なグループ等々。その中にリーダーがいて、それを取り巻く幹部がいて、彼らが全体を取りまとめ運営を指揮し皆が同じ方向を向くように導く。それぞれ規模や目指す方向の種類に違いはあるが、大まかにはどこもそんな構成だと思う。リーダーを務めることは大変な仕事だ。その組織が良い方向へ進んでいる時は称賛されるが、悪いときは散々な批判に合う。責任の重い、そして人によってはとてもやりがいが感じられるポストだ。大勢を率いるには人間力とでも呼ぶべきか、人を惹きつける魅力、カリスマ性のようなものが求められると思う。加えて発想力や意志の強さ、実行力、覚悟なども必要だと考えられる。そしてそれらの能力を持っているだけでは何もできないわけで、自分の考えをしっかり伝えられる弁論力が非常に大切な素養になってくると思う。生の現場での言葉選びを肝心なところで一つ間違えると、それまで味方だった人々がコロッと態度を変えてしまうような、体制を揺るがしかねない状況を生んでしまうことがある。


 誰かが何かミスや問題を起こしてしまった時、「ちょっとした間違いじゃないか、誰でもあることだよ。」と流せればいいと思う。役割は違えど毎日一緒に同じ屋根の下で共同作業をしている仲間なんだから。それはリーダーでも同じだと思う。小さいことにとやかく言っている暇があったら前へ進みたいと思う。ところがなかなかそうはいかないのが現実だ。偉くなればなるほど監視する目が厳しくなる。「給料が高いくせに間違いやがって」「いつも威張って誰かがミスしたら怒鳴りつけるくせに」「だいたいあの人は最初から適性がないんだよ」。思いは人それぞれだからそれを抑制しようなんて思わない。でもそういう声を耳にするとたまらなく寂しい。同じ仲間じゃないか。


 批判するのはいい。人格を否定するのではなくしっかり意見をぶつけ合う中で、考え方の違いを共有するのは確かな道を進むための絶対条件とさえ捉えている。言い換えるとその“ぶつかり”がないと中身のない単なる仲良し集団に終わってしまう危険があると思う。我々一人一人は弱い存在だからやはり助け合いながら生きていきたい。自分の弱さをもっと自覚して、互いに認め合う関係をせっかく巡り合えた仲間と築いていきたい。そして平和を創る一員でいたい。


 組織・団体はいつも平和を創る集まりであってほしい。

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