NEET

投稿者: | 2021-01-06

 仕事は“できる”人のところに集まる。そうだと思う。「できる人」の定義は「仕事を効率よく的確にこなすことができる人」に留まらず、嫌な顔をしない人や活き活きしている人、一緒に仕事をしたいと思わせる人、魅力がある人などの意味合いを含んでいると思う。同じ仕事をお願いするにしても気持ちよく受けてもらえればお願いする方も気持ちがいい。だからリピートして同じ人に依頼する現象が起きると思う。当然と言えば当然だ。そういう意味で仕事をもらう側にいて気持ちをうまく伝えきれない人は損をする場面が少なくないと思う。


 もう一方でとにかく文句ばっかり言いながら仕事をする人がいる。それがその人のスタイルで、悪態をつくことでストレスを発散でき集中に繋がるのかもしれない。あるいは「自分はこんなに忙しいんだ」とアピールすることで周りの人とのコミュニケーションを図り、同情や尊敬を狙っているのかもしれない。仕事がなくて途方に暮れた経験がある私にとっては、忙しくて文句を言うなんて、何て贅沢なんだと思ってしまう。気持ちは分からなくもないが、「世界で一番自分が忙しい」みたいな言動や態度を取る人に接すると嫌悪感を禁じ得ない。


 29歳の時にカナダから帰国し、故郷で職を探した。カナダに戻るつもりでいたので、そのためにはいわゆる「腕に職がある」という事実を作り出すことが一番手っ取り早かった。考えたあげく、あるレストランでコックの料理修行をしようと面接をお願いしたら「あんたももう30なんだから、しっかりしなきゃダメだよ」と檄を飛ばされたこともあった。だから面接をお願いしているのに……。その後ファミレスでコックとしてのアルバイトを2年間ほどした。やがてカナダを諦め方向転換し、地元で地道に働き直そうと就職活動を始めた。英会話学校の事務員など社員を募集している随分たくさんの会社へ履歴書を送り、面接を申し込んだ。あらかた書類選考で落とされた。学習書販売の会社で面接を受け、「スタッフと協力し合いながら子供たちのためになる教材を作りたい」と言ったら、面接官に「そういうの、くだらないと思わない?」と蔑むように言われた。面接官は営業部長か何かだったと思う。売ってなんぼの世界で生き続けた人だったんだろう。それまで培ってきた価値観をたたき割られたような衝撃が走った。「くだらないとは思いません」と告げて立ち上がり、自分から面接を終わらせた。藁にもすがるような思いで、旅行と絵画をセットで販売する会社の試験を受けた。合格し研修を受けるところまで行ったが、一日目で詐欺まがいの会社だと気づいて逃げた。確かにもう30歳になっていたし、カナダに住んでいたとは言え、これと言って職歴があったわけではない私を、ほとんどの企業は相手にしてくれなかった。社会から「不適合」の烙印を押されたも同然だった。所属している場所がなく、家にもどこにも居場所が無かった。30歳の年の半年間くらいはニートだった。その半年は永遠にも感じられるほど長く苦しかった。


 社会は冷たい。冷たさに晒されて私は途方に暮れた。「雇ってさえくれれば絶対に損はさせない」と自分では確信があったけれども、私を知らない人々がそんなことを信じられるはずはなかった。映像業界はそんな不適合者たちの溜まり場と言えるかもしれない。そんなことを言っては雇ってくれた映像プロダクションと先輩たちに失礼か。この業界で面接3社目の会社が拾ってくれた。最後の最後に映像制作に対する私の熱意が届いた結果だったと思う。がむしゃらに働いた。


 尽くせる仕事があるだけで幸せだ。

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