夢見る頃を過ぎても

投稿者: | 2021-01-07

 朝起きた時に何故か暗い気持ちになっていたり、何故か「今日も頑張ろう!」と喜びに満ちていたり、何故かハッ!といつもより早く目が覚めてしまい何だか落ち着かない気分に陥ってしまうことがある。夢を見ていたんだと思う。でもどんな夢を見ていたのか、思い出そうとしても思い出せない。記憶は消えてしまうが受けたイメージが残り、日によって種々雑多な感情の波に襲われる。誰もが経験している現象だと思う。

 見たいと思った夢を思いのままに見ることはできない。少なくとも私はそういった技術を持っていない。一説によると深層心理の欲求が夢となってその人にイメージとして現れるのだそうだ。普段の起きている間はよっぽどのことがないとそれほど心を動かされることが少なくなってきたが、あの眠りから覚めた時の心の状態には抗えない。無防備というか、寝ている間は些細な刺激にも動揺してしまっているようだ。フロイトの分析が正しいとすれば、起きている間に無意識に張り巡らせている防衛網の内側で、つまり私の心の深いところで夢は生まれ、無垢な心に直接働きかけるのかもしれない。就寝中に起こる全てのことは大人になるにしたがって築いてきた見えない壁、私の城塞の内部での出来事だとしたら、起きた瞬間のあの精神的な不安定さに一つ説明がつく。抗う手段を持ちえない世界での営みになるから。

 人間は孤独だ。生まれるときも、死ぬときも独り。夢の中も独り。そしてそんな時はいつもありのまま、裸だ。独りでいることは寂しいことだと思っていた。寂しいことが当たり前だと思っていた。そんな思いが年を取るにつれて強くなり、自然と自分の周りに壁を作らせていたのかと思う。壁が高くなり過ぎて息詰まって苦しくてどうしたらいいのか、何が理由なのか分からなくなって藻掻くうちに、「Alone with GOD」という考え方を恩師から教わった。「人間は誰しもが孤独な存在だけれども、神さまがイエス様が必ず共にいてくださる」という教えだ。簡単に言えば、「人間は孤独ではない」ということだ。「目に見えないものを信じて生きなさい」ということだ。その時に私は何とも言えない、ん~、そんなに強烈な明るさではない、柔らかな少し夕陽に似たオレンジっぽい光にポワッと照らされたような温かさを感じ、自然と小さな笑みがこぼれた。理由は本当に分からない。分からないが、非常にその教えが腑に落ちて「信じよう」と強く思えた。

 聖書を枕元に置いて、寝る前は1章でも1節でもいいからなるべく聖書を読んで目を閉じるようにしている。別の本を読みながら、もしくはTVを観ながらいつのまにか寝落ちしてしまうと、大抵よく眠れないし寝覚めも悪い。先日、聖書研究会の場で寝起きの話になり、私が「起きた時にたまに、『あ、今お祈りしていた』と思う時ってありませんか?」と聞くと、みんな「うんうん、あるある」と笑っていた。もっともっと聖書を読みたいし、祈りも深めたい。幸せな朝をもっと増やしたい。

 「夢判断」をちゃんと読みたくなった。

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