自分探し

投稿者: | 2021-01-11

 「ノルウェイの森」「ダンスダンスダンス」「IQ84」「騎士団長殺し」と村上春樹さんの本を読んだことがあり、昨日「海辺のカフカ」を読み終わった。村上さんが書く世界には独特の雰囲気がある。雰囲気なんて言葉では言い足りない、得体のしれない、私たちがいる次元とは違う時間が恐らく随分ゆっくりと残像を残しながら流れている空間。夢で見たことがあるかもしれない“おぼろげ”な世界。怖いけど、でもちょっと覗いてみたい異次元の体験。私の想像力では具体的に映像化することが難しく、読んで感じる取るしかない。もしかしたらそれが村上さんの狙いか。読む人それぞれが違った世界を感じてもいい。とても多くの多彩な言葉で描写されているのだが、情景がもう一つはっきり浮かんでこない。ただ、村上さんはすごい作家だなと確信的に思う。

 私はこのブログを書き始めた。まだまだ始めたばかりだけれど、一応“”書く者”の一人として考えると、まぁその表現力の豊かさと広大な語彙に感嘆するしかない。そしてそれらを駆使して独特の世界観を作り上げていて、ちょっと敵わない感じだ。あるいは自分の世界観を表現するために、当てはまる言葉を猛勉強して探しながら書き上げたか。どちらかではなく私の知識が及ばない方法でアイデアを生み出し、執筆していらっしゃるのかもしれない。いずれにしろ私にすると気が遠くなるような勉強量と読書量が降り積もるように蓄積されている方だと推測する。

 人生の目的とは何だろう。人生とはそれを探し求める旅と言える、と思っている。「これが答えかなぁ~」と思えるものに出会っても、一応心に留めておいて、もしくは気づかぬ間に留められて、また次の旅に出ていく。そして次の旅ではまた新しい答えらしきものを捕まえて留めたり、前のものを否定して吐き出したり。時にはキャッチ&リリースもあるだろう。生きている限り、「留めては捨て、捨てては留める」の永遠の繰り返し。答えは永遠に分からない。しかし答えらしきものは留まり溜まっている。死ぬときに正解がわかるのかどうかは死んでみないと何とも言えない。それが人生、と今のところ思っている。掻っ捌いて、感想を簡単に言えば、「海辺のカフカ」を読んで上記の私の「人生」についての捉え方を再確認した。人生では自らが予想できないことが起こる。好むと好まざるとにかかわらず、肉体的なハンディキャップや精神的な“傷”を背負ってしまうことがある。そういった経験を携えながら人は与えられた自分の“使命”に出会える旅を続ける。そして答えは生きている限り決して見つからない。だけど諦めちゃダメだ。

 「天才」とはどういう場合に使うのだろう。処理能力が信じられないくらい早い人のことを言うのだろうか。多くの人は誰かが何かをして、びっくりしたときにその言葉を使う。私はこの「天才」を多用するのは好きじゃない。超能力とはまた違うし、天才と呼べる人をまだ知らない。勉強不足か。誰かが「良くできる人の裏にある努力の跡を誰も見ようとしない」と言っていた。私は村上さんを天才とは呼べないが、その情熱と努力に裏付けられた技術を通して尊敬している。一ファンとしてノーベル賞を受賞される日が来ることを心待ちにしている。

 作家として映画制作に携わる道もあるんだよね~。

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