偽りの影ぼうし

投稿者: | 2021-02-12

 仕事とプライベートで人格が変わってしまうというか、公の時と私的な時とのダブルスタンダードな自分に悩んでいる。ずっとテンション高く、モチベーションを高く、誠実な自分で24時間いることができない。少しでも時間と気持ちの余裕ができると怠惰や妥協、頑張れない挫折、弱さの世界に逃げ込んでしまう。この問題が私が今抱える最大の問題と言ってもいいかもしれない。どうしても何かと自分を比べてしまう悪習とこのダブルスタンダードの問題は大きな壁となって私の行く手に立ちはだかっている。

 自分では仕事の処理能力は比較的高い方だと思っている。それなりに画像処理や映像編集などの技術習得には努力をしたし、それらを活用するノウハウも培ってきた。今も制作専門のスタッフから教えてもらったりオンライン講習を使って勉強していく部分と、実際にビデオはもちろんホームページや印刷物などを作っていく部分と、どちらも一生懸命やっている。一つのものを作るにはお客様など一緒に仕事をする人々から情報をもらう為の「段取りと根回し」が、実際の作業よりも大切なことの方が多い。計画を立て、必要な情報をコミュニケーション能力を発揮して迅速に入手することとは、良いものができることに繋がっていき、結局私が気持ちよく仕事をすることができる。集中力を高めてやっているせいか、大したことをしなかった日でも帰宅するとぐったりと疲れを感じる。単純に体力の低下が原因だろうか。

 例えば部屋の掃除や大型のゴミ出し等々、休みの日にまとめてしようと思っていて、実際に休みの日が来てもやる気が起きず、本や映画を観ていたりして結局夕方を迎えてしまう。そんな週末の繰り返しだ。おそらくは世のお父さん方は似たような調子なのかもしれない。やりたくないけど「やらなければならない」種類のことは「仕事」ならばできるのだが、休みの日にはどうしても体が動かない。やれた時は「これも仕事だから」と自分をうまく騙せたときだと思う。言うまでもなく、騙す騙さないの話で問題は解決しない。

 どうしたらゴミ出し等のプライベートの作業が「やりたいこと」に変化できるのか考えてみる。そうすればこのダブルスタンダード問題の解決に光が見つかるのではないかと思った。結論から言うと、このままでは変化させることは無理だ。変化しなければならないのはゴミではなく、私の方だ。私が精神的に根本から生まれ変わらないと問題の糸口は掴めない。いつの間にか私は「仕事」でないと何もできない人間になってしまった。つまりお金にならない作業には指一本すら動かそうとしない、私が一番なりたくない嫌いなタイプの人間に、他ならぬ私が成り下がってしまったのだ。そうなんだ、きっと間違いない。ではどうしようかと考えるとき、私は公の時、平日の自分の仕事を「仕事」と思わないところから始めてみようと思う。仕事ではなく「神様からの贈り物」くらいにまず考えて取り組めばいいだろうか。そう信じられれば仕事は「やらなければならない」ことから「やりたいこと」に変わっていくかもしれない。もしそうなったら、やがて私の周辺は見渡す限り「やりたいこと」だらけで覆いつくされるような気がする。

 ゴミを出せるのにはまだ時間がかかりそう。

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