SAY YES

投稿者: | 2021-03-10

 もう何年前になるのだろうか、「101回目のプロポーズ」という武田鉄矢さん主演のテレビドラマがあった。全話収録されたDVDを購入したほど大好きなドラマだった。武田さんの役は40過ぎのモテナイ寂れた独身サラリーマン。お見合いで知り合ったある美女と恋に落ち、その美女の為にボーナスを全部馬券につぎ込んだり、弾いたことのないピアノを練習したり、走行中のダンプカーの前に飛び出したり、会社を辞めたり、夜を徹してアルバイトをしながら司法試験にチャレンジしたりと、40歳を超えてから始めるにはかなり厳しいことばかりにトライしながら美女の心を射止めていく。ドラマの中で武田さんのこんな台詞があった。「彼女と出会うまでは自分のことが嫌いだった。もっとデキル男に生まれたかった。でも彼女と出会えて自分は変わった。今はもう一度生まれてきても俺でもいいかなって思う。」

 こういったドラマがヒットした理由を考えるに、武田さんの損得を顧みず自分の目標に突き進む姿が、人々から支持を得たのだと思う。みんなが毎日の生活に追われて、なかなか自分の夢を追求することが出来なく、生き甲斐を感じて人生を送れない。武田さんが自分の出来ないことを代わりにやってくれたのだ。実社会では「心を打つ」という行為と「金を稼ぐ」という行為、「夢」と「現実」と言い換えても構わないが、このふたつは相反してしまうことが多いと思う。両立できればそれに越したことはないだろう。私がかつて夢を注ぎ込める職業に就くことで、そういう両立を目指していたことも事実だ。生きてゆくにはお金が必要で、私も時には裕福に暮らしてみたいとも思う。しかしおそらく「裕福になることだけ」に邁進して結果裕福になれたとしても、そのタイプの夢の達成は「人の心を打つ」ということを引き出しては多分くれないと思う。そして果たしてそれは生き甲斐を感じられる人生だろうか。

 他方で夢に生き、たとえ武田さん役のように生きられたとしても、経済的には結局うまくいかないのが現実だ。実際ドラマの中でも武田さんは最後、司法試験に失敗している。目に見える結果は伴わなかったけれども、しかし様々な困難を乗り越える中で武田さんは新たな自分に出会い、生まれ変わることができた。自分の心と向き合い、心の声に耳を澄ませ、それに従い、誠実に努力した賜物だった。そして一皮剥けた武田さんには、吸い寄せられるようにお目当ての美女が寄り添った。

 人生はドラマのようにはいかない。そりゃそうです、ごもっとも。でも人生はドラマだと思う。“ドラマ”のように色んな意味で“カッコ良く”はいかないけれど、やっぱりドラマだ。筋書きがないドラマ、後書きのドラマだと思う。もしかして筋書きが書けるとしたら、それは主人公の自分だけが可能で、最長で今日中のことまで。明日のことを思い煩っちゃいけない。今日を精一杯誠実に生きて、後は神さまに委ねよう。そう、達郎がしたように。

 泣いたね~、何度も何度も。

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