贈る言葉

投稿者: | 2021-03-18

 人に期待するということがあると思う。その人を信頼して、きっと約束を果たしてくれるだろうと期待する。それは小さな他愛もないことから、ビジネスでのお金が絡んでくるような大きなことまで。小さいことであれば、たとえその約束を忘れられてしまっても「小さいことだから、まぁいいか」とはなりやすい。それは事実。でも私にとっては“こと”の大小に関わらず、約束を守ってもらえられなかった時の「期待を裏切られた」感は非常に重い。

 自分が忘れることがないわけでは決してない。そんな人は私が知る限りいない。確かに“小さいこと”は忘れやすい。でもそれは、私が頼まれる側だった場合、私にとっては小さくても、頼んだ方にしてみれば意外と大事かもしれない。状況的・仕事的な大小もあるし、一つのことに対しても思い入れの深さは、よくよく聞いてみないと分からない場合がある。だから私は頼まれたことに非常に慎重に対応することが多い。忘れてしまった時は必死で取り返そうと試みる。「こんな私をせっかく信頼してもらったのに……」と、期待を踏み潰してしまった居たたまれない思いで、押しつぶされそうになるから。それでも裏切ってしまうことがあるのが「人間」であり、「私」ではあるのだが。

 幸せなことに私は「約束を守る人たち」に囲まれて生きてきた。今までの人生の様々なステージを通して、そういう意味であまり痛い目にあったことはほとんど無いと思う。敢えてその背景の上に立って告白すると、私は人に期待するのが恐い。裏切られるのが恐い。人生は極端な話、「約束をしてそれを守って守られて、また約束をして」の永遠の繰り返しだと思う。人は人の間でしか自分を磨けないし、もっと根本的にはそこでしか生きられない。そういった連続する営みの中で、恐れずに生き続けていけるかどうかが、人生の中で大きな戦いの一つだと思う。

 私は約束を守ってもらえなかった時に受けるダメージが大きい。どうしても落ち込んでしまう。傷つく。恐らくその落胆ぶりは表情にも出てしまっていると思う。それが小さな口約束だとしても。
 みんな忙しい。人それぞれ事情があるし、私が全ての人の状況や心境を知っているわけではない。だから責められるわけがない。分かっている。そうなってくると、でも私は落ち込んでいる自分を立て直さなくてはならない。自分を励まし励まし、「人間なんてそんなもんだよ」な~んて宥めながら誤魔化して、何とか前を向かせようとする。疲れてしまい、人を信用しなくなっていく。
 やがて防衛策を取り始める。約束するのを控えて、自分で全てをしようと試みる。どんどん世界が狭まっていき、一人の世界に閉じこもっていく。無理もなかった。
 もう一度、人を信用する人生にしていこうということだ。「♫信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい」と誰かが歌っていた。進んで傷つくと分かっている道を進み直そうということだ。人生は厳しい。悪い癖を引っ剥がすのも厳しい。でもどんなに惨めな私でも支えて下さる方がいる。思い切って委ねてみよう。

 「約束」に仕事もプライベートもない。

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