お得な話

投稿者: | 2021-04-07

 必要に迫られないと覚えられないということがあると思う。「必要は成功の母」という諺があるくらいだから、多くの人が共有している感覚だと思う。私はお客様の中で一応デジタル通で知られている。ネットワーク関係は専門外だが、コンピュータで書類を作ったり、画像を加工したり、ファイル形式を変換したりというアプリケーション絡みのことだったら、私に聞けば何とかなる雰囲気が全体にあるようだ。その実はどうだろうか。
 全てのことを私だって知っているわけではない。皆さんコンピュータで作業するようになってしばらく経っているわけで、それなりに技術も習得していらっしゃり、最近では相談されても即答が難しい内容の注文が多い。そんな時は「ちょっと待っててくださ~い」などと平静を装いながら、もう必死で調べる。分かりそうな仲間に問い合わせる。冷や汗をかきながら得た情報を何度もテストして、実用できると判断できれば、さもサラッと解決できたようなフリをして、涼しげに教えて差し上げる。もうそんなハラハラドキドキで、精一杯背伸びをして難関を切り抜けることばかりだ。業種を問わず、世の中でそんな境遇にいるのは私だけではないと思う。

 実際にそうやってお手伝いして、役に立つことができた時はとても嬉しい。“サービス”の部分なのでビジネス的には一銭にもならないし、ある程度時間がかかる場合は本業の方に遅れが出ることもある。効率だけを考えれば、やらない方がいい。いわゆる世の“成功者”が見たらあざ笑われてしまうかもしれない。でも私はそうやって頼られることが嬉しい。もちろんできる限度はあるが、基本的には私にできることなら何でもして差し上げたいと思う。事実、その“予期せぬ難題”の数々が結果的に私の技術・知識を高めていることは疑いようが無い。純然たる経験の積み重ねがそこでも起こっている。何が無駄かなんて分かりっこない。

 無駄繋がりでもう一つ。無駄話と言われる会話がある。私はとても大事にしている。もしかしたら話の内容は、その日の天気のことやペットと散歩中の出来事など、本当にたわいの無い話かもしれない。しかし私にはどの話が有益で、どれが無駄なのか分からない。置かれた状況によって、行おうとする行動や会話に優先順位は付けるべきだと思う。それを前提として踏まえた上で、一見無駄と思えるものの中から文化が育つような、そんな気がしている。

 誰かが言った。「必要なのは三つ。読むこと書くこと、そして話すこと」。何となく納得してしまう自分がいる。例えば同じ天気の話でも話す相手や状況によって、癒やしにもなろうし、達成感や新しい知識の獲得にも繋がるかもしれない。やってみなければ分からない。たとえ小さくてもチャンスは逃さない方が得だと思う。
 私は孤独な自分を肯定するあまり、話すことが足りていないような気がしている。人見知りの私には無理も無い。言い訳をせず、そこもチャレンジかなとも思っている。失敗してもいいから、見下されても構わないから、さらけ出す生き方をしてみたい。たぶん、そっちの方がカッコいい。

 恐らく、背伸びは皆さんにバレている。

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