Keep on Going

投稿者: | 2021-04-12

 「継続は力なり」と聞いたことがある。三日坊主男の継続性のない私は、何かを続けることによって得る力というものを知らないので、もう一つこの言葉をしっかり捉えることができない。でもそうなんだろうなという予感はする。小さなことでもコツコツと積み上げていけば、きっと何かの役に立つだろうと、何か得るものがあるだろうと、何となく信じられる。

 まだ130日ちょっとくらいだが、こうして毎日コツコツと書き積み上げてきて、気づいたことというか、新しい気持ちが出てきた。書き続けていることだけに満足して、他のことが疎かになっていないかということ。
 確かに書き続けることは大変だ。本業があるわけで、文字通り合間を縫って書いているわけだが、そりゃ忙しくてブログどころじゃない時もある。仕事のことで頭がいっぱいで、ネタを考える余裕がない時もある。寝る時間を削って…、何てこともある。そうでもしないと毎日は難しい。今は本当に心の底から「書きたい」と思っているから、それができる。少しでも迷いが生じると、危ういかもしれない。
 そんな状況下で、週末など、ふと余裕ができるときがある。そんな時、「書き続けられていることに胡坐をかいて、他のことに気を配らない、やらない言い訳にしていないか!?」と自問自答する。もっと何かできることがあるんじゃないか!?と。「それだけやっていれば、後は何もしなくてもOK!」などと思ってないか!?私は何か思い上がったような、勘違いをしているような気持ちがしている。

 自分が好きで勝手に始めたことだ。辛かろうが苦しかろうが、自分の責任で飽きるまで好きにやればいい。それだけのことだ。心のどこかで、誰かに同情してもらおうという魂胆が見え隠れしている。「この大変さを誰か分かってくれ~」などと、泣きすがる自分の姿が見える。私はそういう弱さがある人間なんだ。弱いな~、嫌いな自分だな~、でもこれが裸の私なんだな~、仕方がないな~、またここからだな~。
 今回けっこう頑張って続けているので、さらに書き続けたいのだが、よもやこんな感情、私には非常にネガティブな感情、に襲われるとはちょっと予想していなかった。自分の醜さを突き付けられるなんて、ショックを通り越して少し苦笑いしてしまう。向かう道の厳しさをさらに険しく感じさせられた。

 何度か書いてきたことだが、こうして書いていると、自覚していなかった自分の感情や迷いに気づかされることがある。ここのところ自分で“調子が悪いな~”と思っていた理由が一つこれで分かったような気がする。やはり書くことは私にとっては大切な作業だ。少なくとも現時点では。
 不意の落ち込みも、己の弱さ・醜さを突き付けられたことも、自由と責任の認識を少しだけ深められたことも、答えらしきものに気づいたことも、そしてまた頑張ろうと思えることも、全ては書き続けてきたからこその賜物だ。私は今、神さまのお導きを感じている。

 あと、お祈りも毎日続いてます。

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