中学校時の理科のある授業でのこと。先生の顔も名前も何故か鮮明に覚えている。授業の細かい内容は覚えていないが、「電気」のことを学んでいた。4~5人ずつのグループに分かれ、それぞれのグループで一台のそれっぽい装置を囲み、実験を行っていた。まず確認実験として、装置の電源スイッチを入れたかして、「装置に電流を流す」ということを実行した。すると装置内の、恐らく磁石だったと思うのだが、回転し始めた。つまり「電気を流すと磁石が回転する」事実を共通の理解とした。
次に先生が我々に指示をしたのは、この事実を踏まえて、「仮説を立てなさい」ということだった。何かとても新鮮だった。それまで教えてもらうことはたくさんあっても、「自分で考えなさい」というお題はあっただろうか?
最初、戸惑った。え?どういうこと??何を考えたらいいのか分からなかった。装置をいじりながらグループの仲間と考えを巡らせたが、考えるべき方向さえ失い、迷い道に入り込んでしまったようだった。先生からのアドバイスは、確か、「常識を取っ払いなさい」だったか、「想像を膨らませなさい」だったか、何か未知のワクワク感を抱かせる魅惑的な言葉だったと思う。特別なことは何もない、ごく普通の理科室から、無限に広がる世界を感じさせてくれるような不思議な授業だった。
私は考えた。事実確認の段階で「電気」、「流す」、「磁石」、「回転」という言葉を共有していた。これを並び替えてみようと何故かひらめいた。
その時の私は「発電の仕組み」については全く知識がなかった。よく予習をしている人なら知っていたかもだが、私のグループ内では誰も知らなかった。まさか磁石をコイルの中で回転させるだけで、「電気」が生まれようとは、夢にも思わなかった。海辺にある巨大な風車の正体や自転車の車輪に付いている電灯の謎が、後に私の中で“溶けて”ゆくことになる。
こういう経験を経て一つの知識を自分のものにできると、忘れようったって忘れられなくなる。本当は、勉強というものは、こうでなければならないのかなと思う。全ての知識をこういった経験を通して獲得・蓄積していくことは現実的には難しい。しかしこういう学び方があることを、知っているかどうかは大変重要だと思う。かけがえのない経験であることは間違いない。
なぜこの授業のことを40年後の今も覚えているのか不思議だ。教えた先生だって覚えちゃいないだろうし、他の友達たちが私と同じような印象を持ったかは定かではない。でも確かに覚えている。学校ってすごい場所だと思う。一人の人間にこんなにも強烈な影響を与える空間だ。
先生のなり手が不足しているというニュースをよく耳にする。実際の教育の現場では、私が生徒だった頃とは比べものにならないほど、学校の内外で多くの問題が山積しているそうだ。加えて少子化、人口減少の問題も頭が痛い。
だがしかし、教育の重要性は言及するには及ばない。人を育てるのはシステムではない。言葉であり、その先生の姿勢や人となりが子供たちに影響を与え、そして真似られていく。先生方の責任は果てしない。頑張って欲しい。
中学校時代の授業なんて、普通は覚えてないよね。