Each Other

投稿者: | 2021-05-09

 昨日、以前にお世話になっていたボスから久しぶりに電話を頂いて、時間を忘れて話し込んでしまった。「自分が受け入れられ、お互いが通じ合えること」は、私にとって非常に大きな救いだ。すなわち「心が通じ合っている」と実感できる関係を数多く作れば作るほど、人生が豊かになるように感じている。それは仲良しグループのメンバー同士というのでは意味が無くて、戦友というか、ある程度の緊張感がある「学び」や「仕事」等の場面で、いわゆる苦労を共に経験した間柄じゃないと、“通じ合う”ことは難しいと思っている。ボスは、或いは失礼になるかもしれないが、私にとって“通じ合えている”中のお一人のように感じている。

 相性の問題もある。どうしても苦手なタイプの人がいることがあって、たとえ苦楽を共にしようとも、その人と通じ合えるまでの関係を築くのは、私には難しい。ということは自ら豊かになる機会を減らしているわけで、まだまだ修行が足りないと思うが、正直に今の私にはそこまでの寛容さがない。器が小さいというか、残念だがそんな感じだ。
 年齢や立場は関係ない。魂が呼び合うとでも言えようか、お互いが引き寄せられて巡り合うような出会いから始まって、ある程度の期間の中でそれぞれ、或いは共に経験を重ね、その関係が成熟していくような感覚。こうして書いていくと、そんな幸せな関係を共に築くことができる人に出会える機会は、一人の人生の中でそれほど多く訪れるはずがないように思えてきた。

 引き寄せられる理由の一つに、その人の中に私が無意識に尊敬や憧憬の念を抱いてしまうような、私に足りていない何かがあることに気づく。その事実は私に嫉妬や焦りをもたらすのではなく、もうすでに受け入れてしまっているからなのか、純粋に「凄いな~」と感心してしまう。彼らは私のために、私を映し出す鏡の役割もしてくれているのかもしれない。
 もう一つ、昨日のことに限らず、久しぶりでも話が弾む理由を挙げたい。今も変わらず相手の努力している姿が会話の内容から見えた時、私が嬉しいと思えるから。やはりこの人は尊敬できると改めて確認できるから。そうなると、「自分も頑張ってるんですよ」と、いろいろ現状を報告したくなる。またお互いにアドバイスをしあったり、愚痴を聞いてもらったり。長くなるはずだ。本当に幸せな時間、救いを感じる時間だ。

 毎日顔を合わせて一緒に経験を積んでいる仲間は、もちろん言うまでもなく大切だ。そこを怠けては、一日一日を誠実に生きることにはなり得ないし、“通じ合う”関係の構築を放棄してしまうことになる。それを承知しつつも、日常への感謝を怠りがちなように、目の前の人への尊敬も忘れてしまいがちなのが現実だ。「受け入れてもらっているな」と心地よく感じさせてくれる今の仲間にも、もっと感謝していきたい。
 しかし実際の話、「この人とは通じ合っている!」と感動的に意識しながら、仕事や学びの中で生きていくことは、ちょっと現実的ではない。目をギラギラさせたり、ウルウルさせたようなテンションでは仕事にならない。精一杯付き合って、「通じ合っているな」としみじみ思えるのは、もしかしたら職場を離れるなり、毎日顔を合わせる機会を失ってからなのかもしれない。

 ボス、相変わらず精力的だったなー

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