Change

投稿者: | 2021-05-29

 「この人にはどんないいところがあるんだろう?」と興味津々で出会った方が絶対にいいと思うのだ。分かってはいても、なかなかそうできないのが現実だが、思い切って受け入れることから始めてしまえば楽しくなると思う。無理する必要はないけれど、無理して自分をいい人に見せる必要はないけれど、そうできるようになってそれをしばらく継続できれば、ちょっと人生変わっちゃうんじゃないかと思う。なかなかできないけれど。そんな小さなことから色々変わり始めるのかなと思う。でもそれは周りから見れば「小さいこと」かもしれないが、本人にとっては意外と大きな変化かも。

 ではどうしてなかなか難しいのか。恐らく大多数の人が「変化」を恐れていると思う。残念ながらその中に私も含まれる。「変化」ということは「安定」が脅かされることだろうから、なるべくなら避けたい気持ちはよく分かる。誰かと出会うことはすでに「変化」に接しているわけで、その人からある程度の影響を受ける状況になるのなら、間違いなく「変化」を来す。それが自分にプラスになる変化なら良いのだろうが、まずは防御線を張って、その人の様子を窺おうとすることから入るのは、安全と言えば安全、当然と言えば当然なのかも知れない。年齢を重ねるほどに安全策は強さを増していくのだろう。
 「勉強するためには刺激が必要だ」と言っておきながら、私も安全策を取りがちな傾向にある。自分が壊れるかもしれない危険を承知で、変化を笑顔で迎え入れられる人になりたい。

 でも実際に、例えば初めて会った人に文句や注意をしなければいけない状況があったとする。なかなかニコニコと文句は言えない。それでも無理にでもいい雰囲気を整えてさわやかに意見するべきだろうか。「どんないいところがあるんだろう?」と目をキラキラさせながらその人を厳しく注意できるだろうか。できたとしても、それではこちらの意図や思いがキチンと伝えられないのではないだろうか。ケースバイケースだとは思う。しかしそういう状況で誰かと初めて出会うのも運命ではないか。神さまが与えてくださった“形”の出会いを無理矢理に“いい人ぶって”ねじ曲げることなく、自分らしく対応することが大切かなと思う。私らしいかなと思う。もちろん感情に流され過ぎることなく。そこから何か新しい関係が始まることだってあるかも知れない。
 何か一つやり方を決めて、それに拘ってやり通すことを最優先にしてしまっては、全体を俯瞰で見ることができず、一番大切にしなければならないものを見誤ってしまう。

 変わることを恐れず受け入れ、積極的に生きていきたいと思う。多分それはリスクの高い生き方で、浮き沈みも激しくなると予想できる。昔はそこに面白さ、楽しさを求めていたような気がするが、今はむしろ恐い。ではなぜまた恐いことにチャレンジしようとしているのかと考えれば、ん~、その方向に人生の秘密があるような香りがするから。目指さずにはいられないというか、心が自然と惹きつけられる感じがする。
 いくつになっても試行錯誤が続く。「この歳になってまだこんなところか」と正直がっかりもしている。でも仕方がない、この情けない姿が本当の私だ。比べなくていい。

  初対面の人に未だに自分から話しかけられない。

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