Butt

投稿者: | 2021-06-11

 おしりが垂れ下がってきた。何ともせつない感じだ。週に2回の水泳とたまに10kmのランニングをし、腕立て伏せは毎日やっている。が、おしりは垂れてきてしまった。垂れ具合も酷いのだが、何よりも張りがなくなって小さくしぼんでしまった感じだ。
 これでも昔は、他に何も褒められるようなことはなくても、おしりだけは褒められた。キャッチャーを長くやった賜物なのか、おしりは非常に鍛えられ、突き出るように大きかった。いや、大きいという感じではなく、後方へ厚みがあって、上向きというかいわゆるヒップアップしていた。母親にも褒められたことがあるくらいだから本当に形が良かったのだろう。おしりのサイズでジーンズやズボンを買うとウエストがブカブカになってしまい、カッコ悪くて悩みの種だった。ちょっと恥ずかしかったが、中学の時に女子たちからも「いいケツしてる」と面と向かって言われていた。そんな自慢?のおしりがいつの間にか見る影もなくしぼんで垂れ下がってしまったのだ。悲しい。

 なぜそんなことに気づいたかと言えば、お風呂上りか何かの時に、全裸の自分の後姿を姿見で見てしまったからだった。あまりにみすぼらしくなった自分のお尻を眺めつつ、どこかで見たことがある尻だと気付いた。そんなに多くのおしりを見てきたわけではないので、選択肢はそれほどないはずなのだが思い出せない。「この尻、前に見たことがある尻だ」。確信はあるが誰だか思い出せない。恐らく無意識にずっと気になっていたんだろう、次に同じシチュエーションになったときに、ハッと分かった。「おじいちゃんの尻だ」。

 祖父は生前、褌をしていた。何故か祖父が着替えるシーンをよく覚えている。褌はパンツのようにはおしりをちゃんと包み隠してくれない。おしりの両サイドは丸見えになる。だから褌がすこし弛むようだと、おしりが後ろから見えてしまうことが多い。そして褌はたいてい弛んでくる。そうじゃないとほとんど伸び縮みしない「さらし生地」は、締めていて動きづらいんだろうと思う。そんなこんなで見慣れていたおじいちゃんの尻を私の尻が彷彿させてしまった。ちょっと複雑な心境だったが、何だか笑えた。笑うしかなかった。

 幼い頃はよく祖父の若い頃に容姿が似ていると言われていた。祖父は私が中学に上がったばかりの頃に亡くなってしまって、若い頃の写真はほとんどなく、本当に似ているかは確認できず仕舞いだ。祖父は自分の身支度さえ周りの人にやってもらっていたくらい、何もしないわがままな“殿様”だったと聞いたことがある。そこまで極端ではないが、家のことは家族に任せきりで、自分ではほとんど何もしないようなところは似てしまったのかなとは思う。
 こうして祖父のことを思い出すのも悪くないなと思う。祖父がいなければ私は存在していないわけで、それだけでやはり深い感謝を覚える。また祖父のことは書く機会があるかもしれない。父に多大な影響を与えた人だから、いつか父のことに触れるときにでも再登場してもらおうと思う。
 最近鏡で自分の顔を見るとき、祖父の顔が重なって浮かんでくる。うん、悪くない感じだ。

 まさか、おしりで祖父を思い出すことになるとはね……。

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