困っている時は「助けて!」と声を上げることが一番の解決法だと思う。当たり前だと思うかもしれないが、これがなかなかできない場合が多い。具体的に生死がかかっているような場合、例えば交通事故が目の前で起きて血だらけの人が横たわっている場合などは、比較的多くの人が迅速に助けの声を上げやすいと思う。周りの人に救急車を呼んでもらったり、もしかしたら人工呼吸や心臓マッサージもしたりして、純粋に何とかしようとする人はきっといてくれると思う。そういうことではなくて、仕事や人間関係で行き詰るなど日常生活の延長線上で、何をどうしていいか分からないような道を見失ってしまうことがある。こういったときは「助けて~」と、実際なかなか声を上げられないものなのではないか。
こんなことで助けを求めていいのか。馬鹿にされ、見下されるのではないか。恥をかいてしまい、みっともない。恥ずかしい。言ったところでどうせ誰も助けてくれはしない。他人なんて信用できない。等々理由は様々あると思うが、総じてプライドが邪魔をする場合が多いのかなと思う。カッコつけて高飛車な態度でいれば、それは誰も手を差し伸べてはくれないだろう。裸の心で誠心誠意、訴えなければ人の心を打つことは難しいと思う。だがしかし他人に心を開いて、言わば“泣きつく”ことは誰もが簡単にできることではないと、私は思う。
もし助けてもらったときの見返りを要求されるのが恐い場合もある。借りを作ってしまうわけだから、這い上がった暁には返さなければならない。これが「助けて」を躊躇する理由になる場合もあるだろう。でもそんなことを考える余裕があるならば、まだ自分で何とかできる状況なのかなと思う。本当に“ヤバい”とき、窮地に陥ったときは助けを求めるべきだ。取り返しがつかなくなる前に。
助けを求めたところで誰かが本当に助けてくれるとは限らないと思う。やはり普段から周りとの関係づくりや交流をしておくに越したことはない。普段は音沙汰がないのに困ったときだけすがられても、頼まれる方もすぐに「はい、喜んでお助けします」とはならないんじゃないか。もしもの時の安全策として保険をかけておこうというような“嫌らしい”意味ではない。やはり一人では生きていけない。たいへん月並みだが、普段から互いに気を掛け合える関係を築き、その輪を拡げていくことは極めて大切なことであると思う。そういう関係をたくさん維持できれば、そしてそれらを絡め交り合わせることができれば、とても幸せで平和な世界が拡がっていくと思う。
いつも都合がいいことばかりが起きるわけではない。誰かの助けが必要なケースが必ず発生する。普段から心を開いて関係性を保つことができていれば、その人たちに向かって助けを求めることは容易なのかもしれない。もしそういった関係づくりができていないのであれば、腹を決めて勇気を出してお願いしてみるしかない。プライドを投げ捨て泣きつくしかないとき、そういう場面が人生には何度かあるんだと思う。
ピンチは芯から学ぶ絶好の機会に他ならない。