Deportation(その2)

投稿者: | 2021-07-01

 アパートを借りていたので、立ち退くにしろ、何とか一度アパートへ戻って大家さんなりと相談しなければならないと思った。事情を話して調査官にまさに懇願した。「何とか入国させてください。」プリーズと何回言ったかは覚えていない。
 その部署のトップらしき男性は「絶対ダメだ、すぐに帰らせろ!」と氷のように冷たく私をあしらっていたが、一人の、恐らくゲイだと思われる赤毛の男性担当官が私のためにその上司と掛け合ってくれた。ちょっと脅すような、意を決したような目つきで、その上司に向かって「NO」と言いながら首を横に振っていたのが見えた。何故あんなにかばってくれたのか分からない。
 私はその人を覚えていた。彼は2年半前に私が初めてカナダに着いた日の入国管理で担当してくれた人だった。初めて見て接したカナダ人。当時の日本はまだ同性愛者は世間から冷たい目で見られていた時代で、男性がピアスをするのも珍しかったと思う。その赤毛の担当官はどちらかというと小太りで、一言で言えば“おっさん”な感じだったが、耳にキラキラ光る金色のピアスをしていたのが印象的な人だった。「カナダ人て、こういう感じなんだ~」とちょっと不思議な感想をもったことを覚えている。何とか一度アパートへ帰らせてもらえる段取りがついてから、そのことを彼に告げると、何だか照れくさそうにしていた。多分相当いい人なんだと思う。運命と言えば運命。あの人じゃなかったらと思うとゾッとする。

 空港からアパートまでどういう手段でたどり着いたのか、全く覚えていない。精神的に“命からがら”という状態だった。滞在を許されたのはわずか一日。すぐにでも動かなければならなかったが、身体が言うことを聞いてくれない。恐怖で身体がブルブル震えていた。ベッドに横になっても太ももの震えが治まらなく、それが恐怖感を増した。どうすればいいか考えようと思うが、うまく考えなれない。それでも何とか出した結論は、いつかまた何としてもカナダに帰還し、カナダの市民権を取得することだった。
 いずれにしても一日間でアパートを解約し、ベッドや食器などの家財道具を引き払って、売るなり誰かに譲るなりして処分するのは現実的ではなかった。日本人の友達に電話して、私のアパートに住むなり、時々訪れるなりしてもらって、私の留守の間を繋いでもらえるように頼んだ。家賃は日本から毎月送ることを約束した。「必ず帰ってくるから」と約束した。

 疲れ切ってしまい身体が動かなかったが、もう日本へ帰る支度をする時刻が近づいている。2月のトロントは過酷で、ウィンドチルが-40℃まで下がることもある。その日、窓の外は猛吹雪が横殴りに唸っていた。だから飛行機の欠航を知らせる電話が鳴ったことに、さほど驚きはなかった。あれではさすがのカナディアン・エアーも飛べない。もう一日休む時間をもらい、「神さまって、いるかも知れない」と、あの時ほんとに思ったのを覚えている。

 トロントの空港に到着し入国管理所を訪ねると、担当官が付いた。私が逃げずにちゃんと飛行機に乗るまで確認する役目を担っている。あの赤毛の人のことを聞くと、よく知っている人だと言うことで、よろしく伝えてもらえるように頼んだ。必ず帰ってくるからと。
 バンクーバーでトランスファーした時もバンクーバー事務所の担当官が付いた。私は本当に手錠のない囚人だった。荷物チェックで、スーツケースの中をひっくり返して隅々まで調べられた。あんなことをされたのも初めてだった。「おまえ、何やったんだ?」と聞かれたっけ。 あんなに憧れていた国から私は「出て行け」と命令されていた。

 (その3)へ続く

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