Deportation(その1)

投稿者: | 2021-06-30

 「親離れしたな」と思った瞬間がある。私にとってその瞬間はとても寂しいもので、もう頼ることができないという拠りどころを失う猛烈な孤独感に襲われた、言わば恐怖の瞬間でもあった。知人で、「大学時代にアパートを引っ越すために軽トラを借りて荷物を乗せ、高速に出て車線を変えた瞬間」に、親離れを悟ったという男がいた。全く追体験できないが、何だか分かるような気もする。特に定型があるわけではなく、突然その人に降って湧くような感覚なのかなと思う。

 26歳の時にカナダと日本で協定を結んでいる「ワーキングホリデー」というシステムを使ってカナダに渡った。これは1年間有効の特別ビザで、カナダでの就労が公式に許可されるものだ。帰りの航空チケットだけを持ち、その日の宿泊先さえ決めぬままトロントに降り立ってから、あっという間に1年が過ぎた。ガラガラとスーツケースを引きずりながら、「地球の歩き方」を片手にユースホステルを探し歩いたあの日が懐かしい。映画監督になることをまだ諦められず、トロントという街も気に入っていてもっと留まりたかったので、観光ビザを取得し切り替えてもう半年間滞在を延長した。
 そしてカナダに渡ってトータルで2年半になった頃には、気持ちはカナダ市民になろうと決意し、そのために色々動いていた。一度日本へ帰国し、再度カナダ入りしてから移民局の面接を待とうと思っていた矢先、空港の入国管理所で入国すること自体を止められてしまった。特にビザを入手せず、シレっとビザが要らない観光者として入国しようと試みたのだが、甘かった。簡単に説明すると、「観光者としてはあなたはもう充分長く滞在しているので、帰りなさい」ということだった。「あなたにはこれ以上カナダに滞在する資格はありません」という通告だった。私の人生でこの時ほど“ヤバい”と思った瞬間はない。実はこれは二度目の試みで、そのちょうど一年前にも全く同じような状況で、スッと入国させてもらえていたので、大丈夫だろうと高を括っていたのだが、この時は通用しなかった。今考えれば冷静にそういう考察ができるが、あの時はそれはもう気が動転して、「あ~人生が終わった」くらいにショックを受けていた。手錠こそかけられていなかったが、私には、両手首にそれぞれ鈍く光る、短い鎖でつながれた金属製の“わっか”が二つ、見えているようだった。このまま収監されるかもしれない恐怖に震えていた。

 ハッキリ覚えていないが、多分8時間くらいはそのまま空港の入国管理事務所で軟禁された。未来を憂い、永遠にも思えた地獄の時間だった。その間何度か取り調べを受けて、最後は通訳が来て正式な書類を作っていたようだった。調査官に英語で質問されて、私が直接英語で返答しようとすると制止され、通訳の方に日本語で答えた。そして通訳が英語で調査官に伝え調査官が記入するという、何ともまどろっこしいお役所のやり方につき合わされた。その頃にはもう私の精神力は限界に来ていて、「何でも言われた通りにするからもう許してください」という極限の状態まで追い込まれていた。何かの事件の容疑者が警察で何日にもわたって尋問されたら、やってないこともやったと言ってしまう気持ちは、私には少し分かる。

 (その2)へ続く

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