無茶苦茶

投稿者: | 2021-07-04

 「人の迷惑になるようなことはしてはいけません。みんなと仲良くしなさい。自分だけ勝手なことをしてはいけません。」と、思う。私は典型的な“優等生”の考えを持つ人間だ。怒られないように失敗しないように、なるべく安定した毎日を過ごせるように努めている、極々普通の平民だ。だから発想や考え方も普通。本当は多少なりともクリエイティブな世界に身を置くべきではなかったのかもしれないと、実は思っている。
 仕事のことはまぁいいとして、そういう自分を第三者的に捉えた時に、こういう真面目なタイプの人間を日本社会は作ろうとしてきたんだろうなと思う。上からの命令に忠実に従い、多少の自己犠牲を厭わず懸命に任務遂行のために努力できる人間。こうして書いていると自分がロボットのように思えてきたが、そこまでとは思わないが、反対に言うと自由な発想を伸び伸びと拡げられる大人には育たなかった。優秀ではないが、そこそこ責を果たすくらいはできる、成功例の一つではないかと思う。

 難しい話にはしたくない。何が言いたいかって、“つまらない”人間が多くなったのではないかということ。私のように規範の中だけに納まって生きる人間ばかりになってしまった気がする。私がそれなりの年齢に達してしまったからそう思うのかもしれないが、いわゆる“むちゃくちゃ”な人が随分と少なくなったように思う。例えば、明日生きるための小銭さえ目途が立たないのに好きなことばっかりやっている奴とか、家族を置き去りにして勝手に世界旅行に出かけてしまう奴とか、「立ち入り禁止」という張り紙に出くわした途端に侵入を企てる奴とか。あまりいい例が浮かばないけれど、そんなような藪から棒な人間が少なくなったように感じている。何かこう、「この人、すげぇ~!」とインスパイアされるような人。何に感銘を受けるかは、これまた人それぞれなので難しいが、簡単に言うと私みたいな常識的な人間が話を聞いて、「大胆で面白そうだけど、生活は大丈夫なのかな」と心配してしまうような人という感じ。押し並べてだいたいみんな似たような「いい子ちゃん」になってしまったように思う。私も含めて。

 矛盾を承知で書く。私はそういう規範から外れた世界で生きる人と、例えば一緒に仕事したり、生活したりということはもう勘弁してもらいたい。そういう“むちゃくちゃ”な人たちは約束を守れなかったり、わがままだったり、常識がなかったりとムカつくことが多い。恐らくこれからそういう人をパートナーとして選ばないし、雇わない。だがしかし新しいアイデアの起爆剤になったり、他者を目覚めさせたり、革命を起こしたり、そういう社会の中で何かを変えるきっかけを作る人は、きっと“むちゃくちゃ”な人たちなんだと思う。日本の社会が育てようとしてきた人間像から逸脱したタイプの人たち。そういう、私が実際の生活の中で“付き合えない”部類の人たちが少なくなってきて、私は寂しい。

 こういった状況認識の下で、松山英樹さんや、大谷翔平さんなど、スポーツの世界で今までの常識をぶち破るような存在が台頭してきた。後に続く人たちの出現は必然の流れになるように思う。新しい時代の幕開けを感じる。“むちゃくちゃ”な人たちが減ってきたという認識は誤りなのかもしれない。スポーツ界だけでなく、世界平和に貢献できる同志が増え続けることを願う。

 大谷選手も“いけず”なのかな?いや~

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